2015年4月20日月曜日

人か機械か?!渋谷デビューの凄い奴!

ポコ太です。
アイコンの新しくなったポコ太です!(強調)


前回までの豪華絢爛な重箱企画を終えて、
恥ずかしながら、重箱のスミっこに還ってまいりました。
いや~やっぱりホっとするね、スミっこは(笑)

昨年11月からずーっと小泉洋氏インタビューにかかりっきりだったせいで、
本来の『重箱のスミ!』って、どんなブログだったか忘れかけてましたが、
今回からまた、のんびりしょんぼりやってまいりますので、
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。





あ、ひとつ御報告を。

3月21日・22日に行われた横浜アリーナでのコンサート。
ここで演奏された「Here, There & Everywhere」は2日間とも
♫ ~ 涙にくれた出来事 “さ” と歌われておりました。

なんのことか分らない方はこちらのエントリー (小ネタ No.03-3) をお読みください。

まあ、こちらの方が歌いやすいとは思うのですが、
これで歌詞カード準拠になったと思いきや、
先のエントリーにコメントを寄せてくださった adem さんによると、
近年発売された Blu-spec CD の歌詞カードでは “さえ” となっているそうです。

うーむ。出会えない 二人のrelation とはこのことか…。






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というわけで( ← 強引な導入)今年初の「重箱のスミ!」のテーマは、
[幻のデビューライブにおける
      ドラムサウンドの謎に迫る!]





…ほーら、みんな置いてきぼりだ…。





デビューライブ自体が公式記録から抹消されており(注)よく分らないのに、
さらにドラムサウンドがどうこう言われても…
と 困惑される方々 の顔が容易に目に浮かぶ。


ドラムサウンドの謎とは?については、
以前、こちらのエントリー (小ネタ No.01-2) に書いた。
ここに書いた長年のモヤモヤがあっさり解消されたよ!というのが今回のエントリーだ。

詳細については元エントリーを読んでいただきたいが、
ここでは再度、その疑問点を簡単にまとめておく。


 (注)ところが昨年発行された「小室哲哉ぴあ TM編」の "CONCERT HISTORY" には、
    "DEBUT CONCERT” として、しれっと記載されている。
    30年も経って、いまさら公式化されたのだろうか?
    前回チラリと触れたが、その他にもの本には端々に気になる記載がある。
    しかし誤植も非常に多かったため、どこまで真剣に突っ込むべきか迷うところだ。






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まず『TM NETWORK 幻のデビューライブ』とは、次のライブハウス3公演を指す。

1984年6月18日 東京 渋谷 LIVE INN
    7月17日 大阪 梅田バナナホール
    7月31日 東京 渋谷 LIVE INN

今回のテーマはこの3公演中、最初の『6月18日 渋谷 LIVE INN』でのドラムが、
生演奏だったのか?それとも打ち込みだったのか?というものだ。




ライブ直前、リハーサル合宿時点でのインタビューで小室哲哉は
"ドラムを打ち込みでやるため” の仕込みで今、おおわらわだと述べていた。

                ↓

だが少なくとも、7月の 梅田バナナホール公演 は阿部薫による生ドラムだった。

                ↓

結局、打ち込みの話は本番直前に無くなったのかと思いきや、
小室哲哉は、翌85年の平山雄一との対談内でも
『初めてのライブは打ち込みドラムでやった』と話している。
(この "初めてのライブ” というのが「パルコライブ」のことを指しているのか?
 とも疑ったのだが、前後の文脈からすると、
 やはり84年6月のデビューライブを指しているようだ)

                ↓

ではやはり、6月の渋谷 LIVE INN だけは打ち込みのドラムだったのか?

                ↓

だがしかし木根尚登はその著書にて、この渋谷公演は 高杉登 が叩いていたと書いている。

                ↓

            訳☆ワカメ☆



というわけである。







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【お詫び】今回のエントリーは画像が重要な資料なのにもかかわらず、
     我が家のスキャナーが息を引き取られた為、
     一部、本などを直接カメラ撮影した画像となります。
     そのため見辛い画像もございますが、ご了承ください。



まず本題に入る前に、こちらの写真を見ていただこう。

これは木根尚登の著書「真・電気じかけの預言者たち -眺望篇-」に掲載された
デビューライブの写真である。(黄色の[A][B][C]はポコ太が付けました)

































今回の主題であるドラムとは関係がないが、
このデビューライブ、意外と様々な資料が残されているようだ。

例えばであるが、この写真中 [A]と[B][C]はそれぞれ 別の日付の公演 である。
ご覧の通り小室哲哉の髪型、服装が全然違う。

キャプションには『どこの公演かは不明』とあるが、
他の資料と突合した結果、[A]に関しては 6月18日の渋谷 LIVE INN で間違いない。
























      (6月の渋谷 LIVE INN では小室哲哉の髪型が大惨事となっている)





また別の観点からみても、[C]は7月の2公演のどちらかに間違いない。
この『別の観点』というのが今回の主題である。


このように、複数の公演で記録が行われ、
さらに6月の渋谷 LIVE INN にはビデオカメラも入っていたようで、
『デビューライブ』としての気合い が伝わってくる。

つまり現在でも様々な資料が埋もれている可能性があるわけだ。
ワンパターンになるので、
これ以上は言わないが…。








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さて本題だ。


前回までの小泉洋氏インタビューを行った際、
当然、このライブの詳細についてもお聞きしたのだが、
残念ながら氏の記憶は定かでなく、具体的なヒントは得られなかった。

ただ、3公演の内容(機材やシステム)が同じではなかったのではないか?
というポコ太の仮説に対しては、
「パルコライブまではライブをやるたびに試行錯誤を繰り返しており、
 同じではなかった可能性は十分にある」
と話していただいた。



その後はインタビュー記事の作成に追われ、この件については忘れていたのだが、
ところがこのインタビュー、別の意味で大きなヒントが得られたのだ。






          それは 言葉の定義付け である。






ちょっと、おさらいしてみよう。

例えば小泉洋氏インタビューを行うまでは、
「コンピューターを使ったライブは世界初かも」という、
当時の小室発言は何を言っているのか、よく分からなかった。


1984年の時点で「コンピューターを使ったライブ」はとっくに一般化していたからだ。


しかし、当時のインタビュー等に出てくる『コンピューター』という単語には、
『音楽専用コンピューター』(シーケンサー)と、
『一般的なパソコン』が混在している
ということに気付くと、一気に理解が進む。


1984年の時点で一般化していたのは
音楽専用コンピューター(シーケンサー)を使ったライブであり、
小室哲哉の言う「コンピューター」というのは「パソコン」を指していた。

つまりその発言の本意は「パソコンを使ったライブは世界初かも」ということだったのだ。
そうであれば実際に世界初だったかは分らないが、かなり早かったのは間違いない。




この経験から、今回の主題である『ドラム』あるいは『ドラマー』という言葉についても、
そもそもそれが何を指しているのか?
という部分に立ち返って、考えてみようと思ったのだ。








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一般に『ドラム』と聞いて浮かぶイメージはこんな感じだろう。

































              …いや、これはこれで特殊か…。
                   やりなおし。








一般に『ドラム』と聞いて浮かぶイメージはこんな感じだろう。































ところがだ。
ちょうどこのデビューライブが行われた頃のTV出演、あるいは「1974」のPVを見てみよう。































































お分かりだろうか?
そう、立ってプレイするスタイル なのだ!







上の画像では、どちらもカラオケ演奏だったが、
実際のライブでもこのようなスタイルで行われたという仮説は成り立つだろう。

現代からすると珍妙にも見えるが、1980年代初頭においては
最先端のスタイル演出として、わりと洋楽のPVやライブなどで見られた。























                Howard Jones のライブ























                  YMOの散開ライブ

  (なお、後ろのドラマー David Palmer は、TM作品「CAROL」への参加も有名だが、
   90年代からは長年に渡り、宇都宮隆のフェイバリット・アーティスト Rod Stewart の
   アルバム、及びツアーに参加。コンポーザーとしてもクレジットされている)









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と、ここまでたどり着いた2日後、
インタビュー記事の補足資料として今更ながらに購入した
2012年夏のキーボードマガジンが届いた。

この号には非常に小さいながら、デビューライブの写真が掲載されている。
その中の1枚を見た瞬間、仮説は確信へと変わった。

それがこの写真である。








元が非常に小さいうえ、暗くて潰れている部分もあるので判りにくいかもしれない。
ただそれが 通常のドラムセットではない ことは判るだろう。

大幅に機材が増強されているものの、
これは「1974」のビデオクリップなどに見られた、
立ってプレイするタイプのセットに見える。



ただ、足元にバスドラムのように見える物も写っていて、
これだけでその日のプレイスタイルを断定するには心許ないのも事実だ。


そこで一旦、インタビュー記事の作成から離れ、
知るかぎりの全てのデビューライブの写真を見つめ直すこととした。
(こんなことしてるからインタビュー記事が
   遅々として進まなかったのだ)







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その結果、ついに 決定的な写真 を見つけた。
これはTMN終了時のデーター本「TMN FINAL 4001」 に掲載された写真である。





















はっきりとしない写真であるが、後列の2人に注目していただきたい。

左側(水色の矢印)は小泉洋であり、右側(緑の矢印)がドラムセットの位置である。
そこにいる人物のシルエットに注目してみよう。

通常のドラムキットに座っていれば、
このような頭の高さ、および姿勢にはならない
つまり 立ってプレイしているのは間違いない。



謎は完全に解けた。







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まとめよう。


1984年6月18日 渋谷 LIVE INN でのドラムは、
打ち込みと生演奏の混合 だった。

具体的に言えば、バスドラムやハイハット(ひょっとするとスネアも?)など、
基本のパターンは打ち込み(パソコン)で流し、
その上に上記写真のようなセットを使って人間がおかず(装飾的なフレーズ)を入れる
というスタイルだったと思われる。

また、ティンバレスもセッティングされているように見えるので、
曲によってはパーカッションがメインだったのだろう。
(その場合、ドラムの打ち込み度はさらに高くなる)



これなら最初の小室哲哉、木根尚登の発言とも矛盾しない。



しかし何らかの理由で望み通りの成果が得られず(注)
7月の公演では通常のドラムセットを組み、
ドラマーが全て生演奏するというスタイルに変更したのだろう。

  (注)当時の雑誌に掲載されたライブレポートでも、
     本番中なにがしかのトラブルが起こった事がほのめかされていた。



たった2カ所、3公演なのに
ドラマーが毎回違うのも、この急なシステムの変更が理由と考えられる。



ひょっとすると、1回目の 渋谷 LIVE INN と 梅田バナナホール の間が
1ヶ月も空いているのも、当初のスケジュール通りではなかったのかもしれない。

となると、7月31日の 渋谷 LIVE INN については
当時のチラシでは『追加公演』ということになっているが、
リベンジ公演という側面もあったのだろうか…。








また、これによって6月の公演と7月の2公演では、
出音から受ける印象も、
かなり異なったのは想像に難くない。


さらに、よくコメントをいただく GAUZE さんから教えていただいたのだが、
曲順も一部変更があった可能性があり、
この3公演を「デビューライブ」の名の下に一括りにしてしまうと、
見えなくなってしまう部分もあるようだ。







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さてドラムの件が一段落ついたところで、最初の写真をもう一度見てみよう。
























舞台中央に通常のドラムセットがセッティングされているのがはっきりわかる。
当然、ドラマーも座って叩いている。
この時点で6月の 渋谷 LIVE-INN とは違うことがわかるだろう。



では7月の公演なのは間違いないとして、
梅田バナナホール公演だろうか? 2度目の 渋谷 LIVE-INN 公演だろうか?

ポコ太としては
・ドラムのセッティングされた台の高さ
・天井に吊られた照明の高さ
などが特徴的だと感じ、様々なアーティストの同所公演資料と見比べたのだが、
残念ながら現時点では断定出来なかった。








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ここからは 6月公演と7月公演の違い を、
ドラム以外の観点から、現時点で分ることをまとめておく。


冒頭では多くの写真が出回っていると書いたが、
にもかかわらず検証が困難な理由は次の2点だ。

・人物のアップが大半で、ステージ全体をとらえたものが少ない
 (あっても真っ暗な状態が多い)
・ライブ後半の写真に偏っている。(宇都宮隆の衣装で判断)







まず 宇都宮隆の衣装 であるが、前提として、
デビュー間もないこの時期のライブハウスツアーレベルで、
ワンステージに何度も衣装替えをしたとは考えにくい
せいぜい前半に羽織っていたジャケットを、後半脱ぐ位だと思われる。


その上で次の2枚を見てみよう。
6月の 渋谷 LIVE-INN では写真右側の様に青いジャケットを羽織っている
これは「1974」のPV(下の画像)で着ているものと同じようだ。

ポイントは袖口から白いシャツが見えていること。
つまりこのジャケットを脱ぐと、左側の袖のある白いシャツが現れる。

















































次にこちらの写真。

7月のライブでは黒い(ように見える)ジャケットを着ている。
この衣装は先の「電気じかけの預言者」掲載写真[B][C]と同じであり、
他にも何種類か目にすることが出来るが、
どれも袖口からシャツが見えない。
よってこのジャケットを脱いだ場合は、右側のノースリーブシャツが現れると思われる。



















     (いくら中がノースリーブとはいえ、
      この季節にこんなジャケットを羽織って暑くなかったのだろうか?)











次は肝心の音に関して。

ドラムと並んで、もう一つポイントになりそうなのが
アコースティックピアノだ。

公式には TM NETWORK のライブでアコースティックピアノが使用されたのは、
1987年の「Kiss Japan Tour」が最初ということになっている。

(追記訂正:2015年4月21日)
よく考えたら同年6月の武道館公演が最初でした。

しかし先のキーボードマガジンによると、6月の 渋谷 LIVE-INN では
小泉ブースの奥にアコースティックピアノが設置してあり、
小室哲哉がこれを弾いたとの記述がある。

しかし当時の TM NETWORK の規模で、
アコースティックピアノを持ち運んだとは考えづらく、
これは会場備え付けのものだった可能性が高い。


となると梅田バナナハウスでは使用出来なかったと思われ、
これも聴いた印象はかなり違ったはずである。









最後にもう一つ注目すべきがこの写真だ。
小室ブースの後ろ(写真左端)に小泉ブースがセッティングされているように見える。
























これは6月の 渋谷 LIVE-INN とは上下(かみしも)が逆で、またもし仮に最初にあげた
「電気じかけの預言者」掲載写真の下手側にあるのが小泉ブースだとすると、
それとも逆になる。
(その場合、3公演すべての写真が世に出回っていることになる)

これは公演違いを見分ける大きなヒントとなるはずだが、
いかんせん比較する他の写真が無いため、今の段階ではここ止まりだ。

ただ、今後新しい資料が出て来た場合の足がかりにはなると思う。








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いかがでしたでしょうか?

すっかりご無沙汰で手探り状態の執筆でしたが、
『 TM NETWORK の重箱のスミ!』って
 こんな感じでよかったでしょうか?
         ( ↑ まさかの問いかけ)


とにかく30周年をもってしても表に出てこなかったデビューライブの細部が、
ほんの少しですが垣間見えたエントリーでした。





さて次回ですが、ブランクの空いた間に溜まった小ネタの放出となる予定です。
おたのしみに!



んじゃ、また。










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あ、そうそう。

今回のエントリータイトル。分る人には光の速さでバレてるでしょうが、
 ↓ こいつの第1話サブタイトル「人か獣か?!密林から来た凄い奴!」をもじっています。















だかしかし!単なる趣味に走ったわけではない!!

これは 仮面ライダーアマゾン = 1974年 = TM NETWORK
という、練りに練った含蓄のあるエントリータイトルだったのだ!

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 まあ、嘘なんですが…。
    単なる偶然なんですが…。

ただ、自分がアマゾンに興奮していた時代を思い起こすと、
1974年て、むちゃくちゃ昔ですな。



…まあ、今でも興奮してるんですが…。








19 件のコメント:

  1. 青い惑星の愚か者2015年4月21日 0:45

    ドラム問題の鮮やかな解決、相変わらず見事でした!
    そう考えるとシンセドラムのみに徹した12月のElectric Prophetは、この時のリベンジだったんでしょうかね。
    ここ数年小室さんが言っていたように、TMだけでできるライブが、当初の究極的な理想だったのかな。

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    1. >>シンセドラムのみに徹した12月のElectric Prophet

      でも、いったん動きさえすれば全部打ち込みドラムの方が楽なんだよ。
      カラオケバックの演奏と変わらないから。
      今回取り上げたような、機械と人間の合わせ技のほうがはるかに大変。

      ただ当時はその『動きさえすれば』っていう部分が、ものすごく不安要素だったわけで
      要はめんどくさいポイントが違うだけで、どっちも大変だったと。



      >>TMだけでできるライブが、当初の究極的な理想

      音的な欲求というより、他のバンドとの分かりやすい差別化を狙ったんだろうね。

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  2. 更新お待ちしていました。考古学のような問題で、大変ご苦労されたことと思います。素朴な疑問なのですが、何故このデビューライブは公式記録からは外されていたのでしょうか。次回の小ネタ放出も楽しみにしています。TM31周年初日の朝、TMの曲を聴くよりも先にこの記事を読んでしまった私、、、ポコ太様は私のFANKSライフにかなり大きな影響を与えています。
    話は変わりますが、1974年にアマゾンにはまったポコ太様と、1979年にスカイライダーに夢中だった私、年齢差を表しているかもしれませんね。

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    1. >>何故このデビューライブは公式記録からは外されていたのでしょうか

      単純に失敗だったからだと思います。
      機材的なトラブルを除いても、音的にも演出的にも
      時折ピコピコ音が鳴る以外は、他のバンドとの差別化ができていたとは言い難く、
      その点においてはインパクト抜群のパルコライブをデビューライブにしたというのは
      良い判断だと思います。


      ただ個人的には生ドラムが好きなこともあり、
      デビューライブのせめて音だけでも世に出してほしいと思います。
      …と、31周年になってしまった今となっては、叫ぶ気力さえなくなってしまいました。



      >>年齢差を表している

      いやいや、スカイライダーにも夢中でしたよ。
      …本編開始前に放送されたスペシャル番組も、かぶりついて視たのを憶えてますもん。
      まあ、その後20年近い冬の時代を経験しているだけに
      「毎年新しいライダーが放送される21世紀って、なんて素晴らしいんだろう。
       生まれてきて良かった!」と思ってます。

      まじで。

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  3. 久しぶりのスミを突いた記事さすがです(デビューライブの考察自体がもうスミではない気がせんでもないですが…^^;)。少しずつですが資料が増えてきているとはいえまだまだ真相を解明するのには不十分なのにここまで分析してしまうとは…。恐れ入ります。

    6月渋谷から7月大阪までの1ヶ月の間に構成(曲順も)を修正した理由はなんなのか?。東阪1セットでデビューライブを企画して同内容にするはずが、ポコ太さんが指摘したように6月渋谷の出来がイマイチだった為に(GBのライブレポでも辛口評価だった)リベンジで7月31日渋谷を急遽
    追加して17日大阪までに構成を変更したのか?(だとすれば追加公演のチラシは6月後半から7月終わりまでに配布されたことになる)。いち早い真相究明が待たれますね。

    また次回の更新も目からウロコな小ネタの数々を期待しておりまーす。ではでは(^^)/。

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    1. 曲順に関しては演出側の要望か、前回までのインタビューで
      小泉氏がおっしゃってたように、純粋に機材的な問題かもしれません。

      それとこの一連のライブ、もともと大阪も含めてワンセットだったんでしょうかね?
      なんでこの間が1ヶ月も空いているのかが謎です。
      大阪の最初の告知がいつ頃なされたのか、資料が見つかったら是非教えてください。

      削除
    2. うおっ、難易度の高いMissionを課せられてしまったー!(ΣOωO;)。

      とりあえず手持ちの資料で参考になりそうなのは、6月15日発売のPlayer8月号の小室哲哉vs大江千里の対談に6月渋谷&7月大阪のライブスケジュールが掲載されている記事とGB9月号(多分7月22日発売)の6月渋谷ライブレポに7月渋谷の追加公演決定の記事があります(共に切り抜き)。これだけで結論付けるのはいささか強引かもしれませんが、やはり渋谷と大阪は1セットだった可能性が高そうかなと思われます。

      大阪ライブを告知した最初の資料を探すのは困難を極めますが頑張って探してみますね(その前に誰かがタレコミしてくれれば非常にありがたいのですが…^^;)

      削除
    3. おお、早速の情報ありがとうございます!

      ということは、大阪までは規定路線で、
      1ヶ月のタイムラグは箱の都合だった、てことでしょうかね?
      だとしたら、6月の結果を受けてのシステム変更だった場合、
      ものすごく助かったでしょうね。

      あと、以前の小ネタに書きましたが「PATi PATi」創刊号のインタビューでは、
      初日の公演日が6月18日ではなく6月11日と告知されていましたが、
      この「6月11日」というは、他メディアにも発表されていたんでしょうかね?
      この件もついでに頭に入れといてもらえますか。

      どうぞよろしくお願いします。

      削除
  4. ひさびさのスミですが、先にコメントされている方々も雲の上のようなマニアの方々で緊張です。
    次回の小ネタ放出を楽しみにしています。
    ジャスライで盛り上がるFANKSのスミっこより。

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    1. あらまあ、珍しく殊勝のコメントですこと。

      こちとら海の奥底から空を見上げてうごめく深海魚・ポコ太でした。

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  5. こんにちは。デビューライブが好きな自分としては小泉氏のインタビューも
    今回の記事も大変興味深く読ませていただきました。(前回の記事にてコメントして失礼致しました)
    記事を読み思い出したのは、ラストライブのRAINBOW RAINBOW(もしくは数曲?)は
    山田ワタルさんは立ってスネアを叩いていたように思います。
    フロアタムをアクセントにしつつもパーカッションのようにプレイされていて
    記事を読んでから見直してみるとシンセドラムの名残が感じられました。

    と個人の勝手な意見で申し訳ありません。次回の記事も楽しみにしています。
    いつも良い記事をありがとうございます。

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    1. Mさん
      とんでもありません。コメントありがとうございます。


      「デビューライブ(の初日)」と「LAST GROOVE」
      なにしろ渋谷初日の資料が全くないので、厳密に同じなのかどうかわかりません。

      ただ、ご指摘いただいた「LAST GROOVE」では「GET WILD '89」「SELF CONTROL」等
      一部の曲以外は大半が・一方がドラムに専念・もう一方がパーカッション担当、
      という割り振りがはっきりしていて、演奏スタイルとしてはむしろ先日の
      「TM NETWORK 30th FINAL」に近いですね。

      ただ「30th FINAL」では、はっきりとパーカッション担当、ドラム担当として、
      それぞれ専念していたのに対し、「LAST GROOVE」は
      "手の空いてる方は合いの手を入れる” 程度の消極的な感じがします。

      ご指摘の「Rainbow Rainbow」でも、阿部氏がスネアも含め通常のドラムフレーズを叩き、
      山田氏はシンセタムなどで合いの手的なフレーズを入れるにとどまっています。
      むしろ大半はスティックを持って、ただリズムに合わせノっているだけです。

      この「LAST GROOVE」における一曲毎の二人の役割分担。
      特にドラム担当でない方は、その曲でなにをしているのか?
      というのも、これはこれで面白いネタです。
      (やるとは言ってませんよ!言ってませんよ!)


      これに対し、今回取り上げたデビューライブ(の初日)は
      『機械 プラス 人間』ということで、どの程度の役割配分だったのか分かりません。
      YMOの「WINTER LIVE」(1981年)のような、
      機械のバスドラムに合わせ高杉氏がスネアを叩く『マンマシーン型』だったのか?
      それともドラム = 機械 パーカッション = 高杉氏 とはっきり役割分担されていたのか?

      また機械と人間が一緒にドラムを担当しながらも、それぞれが違うリズムを叩き、
      複合的、あるいはポリリズムなど、アイデア次第でいろんな組み合わせが考えられます。

      この組み合わせはTMの歴史でも唯一であり、同・大阪公演などとも違う、
      非常に独特な音だったと想像できます。

      これに限った話ではありませんが、30周年にあたり
      過去の掘り起こしがほとんど行われなかったというのは残念でなりません。

      削除
  6. 更新ありがとうございます!
    へなちょこFANKS代表としましては、見たことない初期の
    メンバーの写真にキャッキャッしました☆

    ところで、7/31追加公演チラシの右から何人目がポコ太さんですか??
    私の予想では右から2番目かな、と思ってます。

    返信削除
    返信
    1. え?右から何人目、、、ですか?
      右からだと…78人目になります。…左からだと1人目だったんですけどね…くそゥ。

      来年こそは総選挙に勝ち抜いてセンターを奪い取ります!
      応援してください!

      削除
  7. こんにちは。ポコ太さんやこちらの皆様はほんとよくご存じなことばかりで。脱毛、、失礼脱帽です。
    ライブの写真のことを考えていてふと思い出して過去の雑誌や最近発光、、、、発行されたタイム増シンボックスの記事を読み返してみましたが、小室さんのデビューの三つ編みは最初40本ほどあったそうですね。で、段々数が減っていって12月のライブの時点では無い長髪の状態になっています。
    遡って9月に放送された特別番組1974スペシャルにおいては若干残っている程度です。
    髪は長髪の後のEXPOツアーでの金髪状態に近く感じます。ここから推測するに写真Aはおそらくデビュー直後でありアーティスト写真で撮られた1974の頃に少し毛が生えた(失礼プロですね^^)状態がつまりポコ太さんご指摘とおり6月。小室さんの髪が大惨事になっている。これが大阪バナナホールな気もします。要するに髪が伸びたということですね。次に写真Cと後ろに小泉ブースが見られる写真の小室さんはこれが7月のライブインな気もします。根拠は大阪に初お披露目の場でビジュアルを簡略化はしないんじゃないのかなあと思いまして。2度目の時に同じ服装や髪型で無いのは小室さんは同じことをやらない人ですから考えられる理由なんですが・・。ただこの後のオールナイトフジでは服装がデビュー当時のものですが髪がかなり伸びていて後ろに結ってあるのが確認できます。その後の1974スペシャルに繋がり12月のライブというように推測してみたのですが・・・・。

    と、ここまで自分の独りよがりな推測ですみません。
    何かこうモヤモヤした思いがありまして、こういうのは気にすると夜も眠れませんね。昼寝はできそうです。
    お気を悪くさせたら申し訳ないです。髪のことばかりで失礼いたしました。

    それから、C-DRAGON PROJECTと聞いててっきりその当時に放送されていた電撃戦隊チェンジマンの剣飛竜のことばかり思っていました。彼らの返信するときの掛け声ってペガサスだったりしますからChange Dragonの略とばかり^^。

    小ネタ楽しみにしております。

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    返信
    1. Mさん
      抜けはじめて分かる長い友達ネタ、どうもありがとうございます。

      三つ編み部分が寝るときに相当痛くって、寝返りも打てないとぼやいていたので、
      少しずつ減らしたんでしょうね。
      テレビ出演で確認すると9月終りから10月頭の時点で完全に外したようです。

      鬱が赤毛を速攻でやめた(デビュー後、実質2ヶ月もない?)ことを考えると、
      暑い季節も乗り切り、よく頑張ったんじゃないでしょうか。
      そもそもその頑張りが必要だったのか、という気もしますが…。

      三つ編みの本数の推移というのは、とても重箱的であります。
      それ自体をやる気はありませんが、何かの判定をする時、
      1つの指標になると思うので憶えておきますね。




      「ドラゴン」に関しては若干、C-Dragon Project の方が早かったようです。

      ただドラゴンはともかく、1985年の時点で「グリフォン」というセレクトは、
      とても攻めていたと感じます。当時「チェンジマン」をみて
      初めて「グリフォン」という存在を知った、というのはチビっ子に限らずいました。

      「電撃戦隊チェンジマン」は担当された鈴木武幸プロデューサー(現・東映専務取締役)
      としては、一番うまくいったと感じている戦隊だそうです。
      確かに鈴木プロデューサーが担当になった「ゴーグルファイブ」以降、
      改革案の柱の1つであった「敵にドラマを作る」というのが、
      一番うまくキマった番組だと思います。

      僕自身もこのダイナマン後半→バイオマン→チェンジマン→フラッシュマンあたりの
      ドラマ性の高さに出会わなければ、今に至るまで戦隊を追い続けなかったと思いますので、非常に思い出深い戦隊です。
      中学とか高校の友達連中に無理矢理見せて、何人もこの世界に引きずり込みました(笑)

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  8. New Order - Blue Monday
    https://youtu.be/eTb2rZ0SBg4

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    1. 匿名さま

      参考ビデオ、どうもありがとうございます。まさにこれですね。
      この場合はスネアは打ち込みで、その上にパーカッシブなノイズで
      アクセントをつけるというパターン。

      このビデオ見た瞬間に思い出したんですけど、確かTMでも
      「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」で西村麻聡が同じような事をしてた記憶があります。
      ビデオではバッサリ切られてますが…。
      ただその時はあくまでパーカッションだったと思います。

      また何か参考になるものがあれば、よろしくお願いします。

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  9. TMのダンスサウンドは完全に New Order ですね。

    彼らの『Substance』(シングル集)を聴いてみたら、
    TMの12インチリミックス(「Dragon the festival」とか)にそっくりでしたww

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