2015年5月30日土曜日

【番外】TM NETWORK とはなにか? 〜 その1

今回は「TM NETWORK の重箱のスミ!」でもなければ
「TM NETWORK の重箱!」でもありません。完全な『番外』であります。
そのため一定の期間後は別の場所に移動させていただきます。




   はじめに


今回、自分としては書くべきか書かざるべきか、非常に迷いに迷いました。

…と書けば小泉洋氏インタビューをお読みいただいた方々には、何のことかお分りでしょう。
結局迷った末に一旦は『その件』に関わる部分を注意深く取り除き、
インタビューを再構成して皆様にお届けしました。
これは何よりも、御本人である小泉洋氏の意向を尊重させていただいたためです。

この件に関して小泉氏は一貫して
「いいんだよ、もう。今さらほじくり返してファンの人達の夢を壊しても仕方がない」
と仰っていました。

特に1985年の項(3回目のエントリー)はその部分の切り分けにかなり手間取り、
結果として少し散漫な出来になってしまったと感じています。
自分の構成力不足を恥じるとともに、お読みいただいた方々、
そしてなにより貴重な話を沢山語っていただいた小泉氏に申し訳なく思います。



ではなぜ、自分はそのように微妙な問題を今になってほじくり返そうとしてしているのか。



予告編でも宣言しましたが、あくまでこの企画の趣旨は暴露が目的ではありません。
初期制作体制の実態、および TM NETWORK の成り立ちを探ることが目的ですので、
音楽活動と関係のない個人的な軋轢は、今後も一切書くつもりはありません。



しかし、実際インタビューを行って痛切に思い知らされたのは、
小泉氏の御活躍とTMからの離脱はコインの裏表の様な面があり、
離脱の経緯がアンタッチャブルなままでは、
30周年どころかいつまで経っても小泉氏の御苦労、御活躍は表に出せない。

そして "小泉洋という視点” を Lost したままでは、
今に繋がる『TM NETWORK が誕生時に抱えた興味深い独自性』が、顧みられず
永遠に埋もれたままになるという理由です。



加えてもう一点。



インタビュー掲載後に気付いたのですが、読者の方々の中に
『小泉氏の離脱時期』と『TMがブレイクした時期』を重ねて捉えていらっしゃる方が多い。
端的に言ってしまえば、小泉氏を外したことによってTMはブレイク出来た、
と捉えている方が残念ながらいらっしゃるということ。

これは自分としては予想外のことで、
貴重な話を披露してくださった小泉氏に対し、申し訳がありません。
また小泉氏が離脱した翌年、1986年をブレイクと捉えてしまうと、
この時期の制作体制の変化や、幾つかの楽曲の立ち位置を見誤ることにもなるでしょう。




以上の理由で自分は、30周年というお祭り期間が過ぎ去るのを待ち、
小泉氏に再度連絡して交渉、強引に許可をいただいたうえで執筆に取り掛かりました。




再度断っておきますが、この件に関する小泉氏のスタンスは先に述べた通り
「今さらファンの夢を壊しても仕方がない」ということです。
この件は非常に微妙な問題を孕みますので、10人いれば10通りの真実があると思います。
本文はあくまでポコ太が小泉氏から伺った話をもとに様々な推測を交え、紡ぎ上げたもの。
いわば私感であります
ここに書く内容が唯一の答えとは捉えないでいただきたいと存じます。





原稿自体はすでに書き上がっているので、今後の流れを予告しておきます。
たいへん長文ですので、3回に分けることにしました。
これは慎重を期する内容が含まれる為、
読者の方にもじっくりと読んでいただきたいとの想いからです。



     はじめに
  1:スピード・ウェイとはなにか?
  2:デビュー直前での路線変更
     (今回分)

  3:ちぐはぐな頭と体
  4:外圧
     (2015年6月9日公開予定)

  5:隙間風
  6:TM NETWORK とはなにか?
  7:CHILDHOOD'S END
     おわりに
     (2015年6月下旬公開予定)





また今回は、サブテキストとして昨年30周年を記念して発行された
「小室哲哉ぴあ TM編」(以下:TMぴあ)を多く参照いたしました。

この本は当Blogで何度も申し上げているように、今まで語られてこなかった内容が
さらりと書かれている反面、記憶違いの発言や単純な誤植等も多く、
正直どこまで正面から受け止めていいやら悩む部分があります。



その中でも自分が初見の際、非常にひっかかりを覚えた発言を一点あげておきます。

 (小室氏による全曲解説 / アルバム「CHILDHOOD’S END」内「ACCIDENT」の項)
  ちょうど、このころ、同じレーベルで LOOK というグループの「シャイニン・オン
  君が哀しい」という曲が大ヒットしてまして、その水のあけられ感がめちゃくちゃ
  大きくて、何とかシングルヒットを出さねばって焦りがありました。



なぜそこまで具体的に憶えているのに、この30年間一度も話さなかったのか?
またその内容が真実であったとして、なぜ LOOK の「シャイニン・オン 君が哀しい」なのか?

失礼ながら当時の TM NETWORK を考えると、
追い抜いていった曲やバンドは、他にもたくさんあったはずです。
また音楽的にも、とても TM NETWORK が意識するような
(被るような)バンドとも思えません。
同じエピックソニーだったから?それだけなのでしょうか?

いまひとつ釈然としないながらも、編集側の付けた
『後輩に追い抜かれたから』という煽り文には説得力を感じず、
しかし他の理由も思いつかず、そのまま考えるのを保留していました。


この発言。
これからお読みいただく方にも、しばらく頭に留めておいていただければと存じます。








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1:スピード・ウェイとはなにか?


木根「(スピード・ウェイは)青春だったよね」
ウツ「そうですね、八王子のレッドツェペリンて感じだったしね」
木根「まああの、でも TM NETWORK のルーツだと俺は言うんだけど、
   小室は違うって言うんだよ。これだけは彼とはどうしても意見が合わないんだよ」
ウツ「なるほどね」
木根「彼もいた時あったからね」
ウツ「そうですね」
木根「最後、後期にね」
ウツ「うん」


これは1996年、スピード・ウェイ 一夜限りの再結成ライブにて出た発言だそうです。(注)

いつものごとく面白おかしく話されていたようですが、
自分としては、これこそ TM NETWORK が結成当初から抱えている、
根が深く、また他のバンドにはあまり見られない構造上の問題点であると思います。





TM NETWORK のファンであれば、TM経由で遡ってスピード・ウェイを聴いた
という方は多いでしょう。

しかし、特に 1st album「THE ESTHER」については
その音楽性の違い、ビジュアルの違いにかなり驚かれたのではないでしょうか。
煽り文句も「かつて TM NETWORK のメンバーが “在籍した” バンド」という、
なんとも微妙な物言いでありました。




つまりスピード・ウェイと TM NETWORK はスタッフも含め、
人脈としては繋がっているものの、音楽性は繋がっていない
という珍しい関係にあるわけです。




音楽性という意味では、
むしろ同時期に小室氏がやっていた STAY の方が、まだ “らしい” でしょう。
STAY の楽曲には、TMのレコードやライブで聴かれるフレーズが
ちょくちょく顔を出します。

特に 3rd album「GORILLA」におけるダンスミュージック路線は
STAY での活動がベースとなっていることは明らかです。

同時期、木根・宇都宮・両氏ともに
『昔、小室がそういう(ディスコサウンドの)バンドをやってたのも知ってたから
「ああ、ついにきたか」と思った』と発言しています。

と同時に2人にはダンスミュージックの経験が無く、
その路線に不安を感じた、とも語っています。





しかし、じゃあ STAY が TM NETWORK の前身バンドか?というと、それもまた違います。
なにより STAY はコンピューターサウンドではありません。

この複雑骨折したような構造が、先のMCにおける
小室・木根・両氏のスピード・ウェイに対する評価(位置付け)の違いになるわけです。





また同MC内で木根氏が小室氏を指して『最後の方』『一時期いた』と述べているように、
木根氏・宇都宮氏にとってスピード・ウェイは、その前身バンドのフリースペースから、
さらには学生時代からつながるルーツではあるものの、
小室氏にとっては一時期、助っ人として所属したバンドでしかないわけです。

ところが TM NETWORK 以降、
スピード・ウェイのみが、前身バンドとして脚光が当たります。
そのためファンの間でも スピード・ウェイこそ TM NETWORK の前身バンドである、
という認識が広まってしまいました。

これは彼らの前歴に、形としてしっかり残っているメジャー作品が少ない、
ということもあるでしょう。

しかし、のちに触れますが
『TM NETWORK の前身はスピード・ウェイであってほしい』と望む人達がいた
という側面もあったようです。




確認しておきますが、これは決して嘘でも間違いでもありません。




ただ一般に “前身バンド” とは、本来一番キモとなる『音楽性』を指すものですが、
スピード・ウェイ はそうではない。
ここでいう "前身バンド” とは、あくまでスタッフも含めた『人脈』のことを指している。

これを念頭に以降の話をお読みください。




(注)ところが昨年(2014年)出た「震・電気じかけの予言者たち」の中で木根氏は
   「小室が作ったバンドに僕とウツが加入したのが TM NETWORK」と、
   今までとは180度異なった見解を記しています。
   これがいつ、なぜ、このように考えを改めたのか、非常に気になるところです。







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2:デビュー直前での路線変更


これはあくまで状況証拠からによる推測に過ぎませんが、
1983年春に小室氏が他の2人と『T.M.ネットワーク』を結成した時点で思い描いていた音と、
同年10月にデビューアルバムのレコーディングを始めたときの音には
微妙な差異があるように思われます。


小室氏の趣向を考えると「打ち込み」に関する入り口は、Kraftwerk 的なテクノ(注)よりも
70年代後期~80年代初頭、ディスコを席捲した
Giorgio Moroder プロデュース作品などでしょう。

   (注)もっともまだ「打ち込みというジャンル」など存在しない時代、
      Kraftwerk はプログレの一種として紹介されていた。
      当時の小室氏がどう反応したか興味深い。

これをミニマルなフレーズを繰り返す新たなポップサウンドと捉えれば、
CM仕事や「TMN GROOVE GEAR」収録の「ANY TIME」で聴けるような、
リズムマシンの上に手弾きシンセの多重録音+アクセント程度のシーケンス音といった、
当時の小室氏の技術、所有機材でも手の届く範囲のサウンドであります。


小室氏がのちにデビューアルバムを指して
「Trevor Horn を目指したが、うまくいかなかった」と語っていますが、
その参考にしたはずのアルバム「The Age Of Plastic」のメインになっているのは
打ち込みよりも、Geoffrey Downes による手弾きのシンセ・オーケストレーションです。

また、TM以前に小室氏が手がけた Missオレンジ・ショック の「ア・イ・タ・イ TEL」は
この「The Age Of Plastic」の "サウンド・コピー” ともいうべき仕上がりであり、
さらに言うなら「ANY TIME」にいたっては、サビのメロディー・コード進行まで
同アルバム収録の「Elstree / 思い出のエルストリー」にそっくりです。








           自分は、このあたりが小室氏の想定した
       『T.M.ネットワーク』の原初イメージではないかと考えます。




リズムマシンと廉価なシンセ+アコースティックギターだけで作ったという
「1974」の初期デモテープ。
また、デビュー前のフレッシュサウンズコンテストでの演奏からも、そう感じます。

このサウンドなら鍵盤奏者である木根氏とのコンビでも、無理なく対応できたでしょう。





もうひとつ「打ち込み」への動機として考えられるのは、意外と音楽そのものではなく、
ドラム・ベースを打ち込みにすることによって、
意思決定に時間のかかる『バンド』編成から脱却したかったからとも考えられます。

人間では表現できないサウンドを打ち込みによって表現する、
というテクノ的な考え方ではなく、
『リズム隊のパートタイマー化』といった感覚でしょうか。

つまり小室氏+木根氏+αという編成を成り立たせる為の
"手段としての打ち込み” というわけです。

どちらにしてもこの時点では、積極的に打ち込みを中心に据えていたというよりは、
もっと副次的なものだった可能性があります。

また小泉氏もフレッシュサウンズコンテストには地方大会の時点から参加していたものの、
この時の「1974」に打ち込みは入っておらず、
氏の役割はあくまで手弾きのサポートキーボーディストとしてでありました。





しかし、詳細な時期は不明ながら1983年夏頃、インタビューにあったように、
小室氏は小泉氏から『パソコンとMIDIによる楽曲制作』のレクチャーを受けます。

これが小室氏からの依頼なのか、小泉氏が持ちかけた話なのか、
はたまた小泉氏の家で遊んでいた時に偶発的に起こったことなのか、
非常に興味あるところです。

というのも後述するように、これによって
(打ち込みやシンセといった表層的な部分ではなく)本人達もあずかり知らぬところで、
TM NETWORK のアイデンティティーが規定『されてしまった』と考えられるからです。



このレクチャーを経て、小室氏は小泉氏に
パソコンおよびシンセサイザーのマニュピレートを正式に依頼。
小泉氏はメンバーと一体となって TM NETWORK に没頭することになります。

この選択は小室氏にとっては、恐らく今までの路線の延長線上。
更にパソコンというビジュアル的なインパクトも加わることによって、
レコード会社や世間への『駄目押しアピール』になる、という程度の認識だったのでしょう。

確かにこれによって、サウンド的には我々の知る TM NETWORK に一気に近づきます。











         『TM NETWORK とはなにか? 〜 その1』終わり


                続けてこちらへどうぞ。
           『TM NETWORK とはなにか? 〜 その2』