2015年1月31日土曜日

祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その2】☆ QUATRO 〜 4人のNETWORK



ミツカワです。


さて今回も、このBlogは「TM NETWORK の重箱のスミ!」ではありません。

                    です!

いつもとは体裁が異なりますことを御了承下さい。



前回から3回に渡って御送りしている
TM NETWORK 30周年記念・特別企画【小泉洋氏インタビュー】

今回は第2回ということで前置きは省きますが、前回の『読者の方へのお願い』は
重要な注意事項を含みますので、必ず目を通してください

まだ前回、前々回のエントリーを読まれていない方は、
より理解を深める為、是非そちらから御覧ください。




また、前回の補足エントリーに書きました
"コンピューター" と "パソコン" という言葉の違いは、
全体を貫く重要なポイントになりますので、再度ご確認ください。

このエントリーでは混同を避けるため、特に重要な箇所では、
音楽用コンピューターを(変な呼び方ですが)"シーケンサー専用機” と呼称をしています。


最後にもうひとつ。
今回は専門的な話題が多くなりますが、意味が変わらない範囲で、
なるべく単純化し、平易な表現に書き換えてあります。
それでも複雑な部分は、補足エントリーにて解説いたしますので、
まずはインタビューに目を通しておいてください。








           では、大変お待たせいたしました。
       本邦初!【小泉洋氏インタビュー】第2回スタートです。
         (文中の注釈はミツカワが付け加えたものです)








♫ New Song 〜This is a song to all my friends〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ では、いよいよデビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」の話をお聞かせ下さい。 
◯ まあ売れてるバンドならともかく、スタジオ使って打ち込み作業なんて贅沢なこと
出来ないからさ、"データ作りの日” ていうのを作っては俺の多摩の実家に哲っちゃん呼んで…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、それで当時のインタビューでは
   「小泉んちでレコーディング」ってさかんに出てくるんですね。
      失礼ですが御実家は広かったんですか?
◯ 広いというより環境だね。一応戸建てで客間も分離してあったから… "はなれ" って言う の?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あ、離れがあったんですね。
◯ うん。12畳くらいの離れがあって、
で、そこにコンピューターや PPG とかのシンセをばーっと並べて…。 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ …え?ちょっと待ってください?
     PPG WAVE(注)ってあれ、小泉さんの私物だったんですか?!
◯ ああ、そうだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でも PPG って、たしか250万円くらいはしましたよね?
     てっきり事務所が購入したか、リース物だと思っていました。
     他にも小泉さんの私物だった機材はあるんですか?
◯ いや他にもって… Emulator II も買ったし Prophet 5 も買ったし、DX7 もドラミュレーターも
その他もろもろ、当時 TM が使ってた機材は、ほとんど全部俺の買ったやつだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ!? でもプロならともかく、さっきの話(前エントリー参照)だと、
     少なくとも1983年時点では素人同然で、
     シンセサイザーオペレーターになる気もなかった、と仰ってましたよね?
     それなのにそんな高級機材を次から次へとポンポン買ってたんですか
◯ うん。哲っちゃんのやりたいことを具現化するためには、そういうのが必要だったからね。
だからファーストアルバムからセカンドに行く辺りで俺、1,500万円の借金背負ってたもん。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ (絶句)えーっと、その…機材のローンですよね?全部…。
◯ そう、機材のローンで。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えーと、じゃあ本チャンのレコーディングになったら、
     その機材を全部まとめて、多摩から六本木のスタジオまで
◯ そうそう。(機材がそろってる)ミニスタジオ状態だから、俺んちで全部できるじゃない?
で、データーが完成したらパソコンからシンセから全部車に積んで、
多摩から六本木までバーッと運んでやってたよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ どんな機材を購入するかのセレクトは小泉さんが?それとも小室さんが?
◯ 2人同時だったよ。"どんな音を出したいか” ていうのが2人とも一致してたからね。
だから2人で「これが必要だ、よし買おう!」て感じで。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でも買うのは小泉さんなんですよね(笑)
◯ まぁそういう役どころだったからね(笑)





















 (注)PPG WAVE 
    デビューアルバムのタイトル曲「RAINBOW RAINBOW」イントロの
    印象的なリフや、セカンドアルバムで木根氏を恐怖のどん底に叩き落とした
    「愛をそのままに」イントロの音色など、初期 TM NETWORK を代表するシンセ。
    この時期のライブやPVでは必ず使われていた。





⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみにその頃はどんな音楽を聴かれてましたか?
◯ Howard Jones , Tears For Fears とか、オケヒットの…えーと…
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ Trevor Horn ?
◯ そうそう、Trevor Horn の The Buggles とかよく聴いてたね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そのまま TM に繋がるようなラインナップですが、
     逆に、あまりギタリストが好むようなものではないですよね?
◯ うん。俺はとにかく曲そのものだからね。
機械とか生とか関係ない!革新的!良いものは良い!って感じだったよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯「クリストファー」なんて、まさに The Buggles そのものの音ですもんね(笑) 
◯ そうだね(笑)



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そういえば、その頃の逸話で『1983年の大晦日、小泉んちでデビューアルバムの        レコーディングをしながらNHKで放送されたYMOの散会コンサートをみんなで見た』
     というのがありましたが、これは一緒にご覧になってたんですか?
◯ いやいや、とんでもない。俺は打ち込みでそれどころじゃないもの!
キネ、ウツはうちに来たってやることないし、俺が打ち込みやってる間は
哲っちゃんもやることないから、みんな他の部屋でお菓子でも食ってたんじゃないかな?
で、俺がある程度できたら「哲っちゃん出来たよー」って呼んで、
確認してもらうっていう繰り返し。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あーなるほど。
     3人とも小泉さんが作業してる間は暇だったからTV見てたってわけですね(笑)



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 小室さんからの指示は譜面ですか? それとも口頭で?
◯ うーん、どうだったかなぁ。譜面では来なかった気もするなあ。
基本、哲っちゃんは譜面書く人ではないから。
鍵盤で具体的なフレーズを弾いて、それに合うデータおよび音色を俺が作るっていうのと、
哲っちゃんからイメージだけ聞いて、あとはお任せで俺が作るって感じの時と。
まあ、もう勝手に作っちゃってたけどね(笑)
哲っちゃんが求めてるものは、いちいち聞かなくても分かってるし信頼されてたからね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 小室さんが自ら打ち込むことは無かったんですか
◯ CM(の仕事)とかで、TR−808(リズムマシン)くらいじゃない?
あと、なんかおもちゃみたいなシーケンサーも持ってたけど、
それだと単音でしか録れないし…。
とにかく TM に関しては、俺が全部やってた。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ では、場合によっては小泉さんがフレーズを考えることもあった?
◯ うん。哲っちゃんが「なんかさココ、かっこよくなるモノ無い?洋ちゃん」
って言ってきて、俺が考えたりとかあったよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そうか。御自分としては “コンピュータープログラマー” とか “シンセオペレーター” 
     とかいう感覚で参加されてたわけではないですもんね。
◯ そうそう、TM に関してはメンバー間で役割の線引きなんて無く『4人編成のバンド』
って感覚だったから。だから詞から曲から相談されることはいっぱいあったし、
一緒に悩んで良いもの作っていく。ただそれだけ、それが当然だと思ってたよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。そこは TM NETWORK の成立ちを考える上でも特に重要な点ですね。








♫ クロコダイル・ラップ 〜What Am I Doing?〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さて話を戻しますが、1983年10月の終わりから、
     いよいよスタジオでの本格的なレコーディングが始まるわけですが。
◯ これがさぁ…もうさぁ…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯
◯ 初日から三日間さあ、全く何もできなかったのよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?どういうことですか。
◯ スタートボタンを押しても全く動かないの。パソコンが!
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?!! でもそれまでの「1974」のデモテープを作っているときは
     問題なかったんですよね?
◯ そこなんだよね。「1974」のデモテープは
パソコンを親にしてシンセを動かす(図参照)スタンドアローンだったわけ。
これだと何の問題もないんだよ。



   「1974」デモテープでのシステム図。パソコンが全ての主導権を握っている。
     こうやって出来たテープに、後から歌やコーラスを重ねたと思われる。





◯ ところがSONYに行って、まず言われたのが『当時の主流のやり方』でやれってことでさ、
まず最初にレコーダーへ(当時シーケンサー専用機のスタンダードだった)
Roland MC-4 のタイムコード(同期信号)を入れて、
その MC-4 のタイムコードに合わせてパソコンを動かせ(下図参照)って言うのよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ??? それは、その後のレコーディングでも MC-4 を使う場合ですよね。
     だけど「RAINBOW RAINBOW」の場合は、というか TM の場合、
     実際のレコーディングでは MC-4 は全く使わないんですよね?
     それなのに MC-4 の同期信号を親にして、パソコンを動かす意味なんてあるんですか? 
◯ そこなんだよね。そんなこと必要ないじゃんと思ったんだよ、俺も。
でも何言っても「それがプロのやり方だ」って言われてさ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ はあ
◯ …で、始まってから気付いたんだよね。
これは(うまくいかなかった場合)いざとなったら俺を外すためなんだって。
俺を外して、ベテランの人呼んでさ。その時に旧来の方法(パソコンではなく MC-4 を使う)
で出来るように、保険として MC-4 のタイムコードが必要だったんだろうね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あっ
◯ それで仕方がないから言われた通り MC-4 のタイムコードをまず録音したんだ。
だけどそのタイムコードを録音したレコーダーをいくらスタートさせても、
パソコンは全く反応しなかったんだよ!はじめはもうワケ分らなくてさぁ。
パソコンが動かなきゃ何も始まらないのに、時間だけはどんどん過ぎていくし。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 小泉さんが分からないって事は、TM の3人に分かるはずもないですよね。
◯ いや、誰も分らなかったと思うよ。
だってそんなことやってるの、世界じゃ分らないけど日本じゃ初めてのことだもん。




   小泉氏が「RAINBOW RAINBOW」レコーディングの際、要求されたやり方。
              詳しくは補足エントリーで。


























































◯ でさぁ、その時使ってたスタジオが1日20〜30万するっていうのよ…使用料が。
それがなんにも出来ないまま、一日、一日過ぎていってさ、
とうとう3日目に俺、小阪さん(プロデューサー)に呼ばれたんだよ。
そこで「明日駄目だったら降りてもらう」って言われてさぁ…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ひー。
◯ いやもうその時点で俺、一千万円以上の借金背負ってるわけで頭真っ白。
もうプレッシャーとかいうレベルじゃなかったよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ …で、それは何が問題でどうやって解決されたんですか?
◯ どうやら MC-4 のスタート信号を MPU-401 が理解できていないという事は分ったので、
まずパソコンをスタンバイ状態にさせておいて、MC-4 のスタート信号が入力された瞬間、
擬似的に MPU のスタート信号を出力するっていう機材を、俺が自分で作ったの!
基盤むき出しのこれぐらい(タバコの箱より2回りほど大きい)のものを。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ すごい!まさに人力テクノだ。それはいつまで使われてたんですか?
◯ 結局「RAINBOW RAINBOW」は最後までそれでやったよ。
だってシンクボックス(補足エントリー参照)なんて、まだ存在してなかったからね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あああーーーー!?、そうかなるほど!シンクボックスさえ無い時代なんですね! 
     その時代にパソコンで同期レコーディングしたって事は、
     確かに日本初、ひょっとすると世界初かもしれませんね!!
◯ 今思えば、あの時ギネスに申請してればよかったな(笑)
だから無事動いた日に、エンジニアの伊東俊郎先生にねぎらいの言葉をいただいたよ。
「小泉、お前がこれを成功させたことで10年とは言わないが、
 数年は確実に技術革新が進んだよな」って。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 確かにそうですね。
◯ ほんとその後も伊東さんにはお世話になったよ。
もちろんあの方はシンセの専門家じゃないから、
ADSR(シンセのパラメーター用語)とかではないんだけど、
エンジニアとして音の響き方、響かせ方とかね。

…で、エンジニアとしてあっちこっちいろんな現場に行くじゃん?
その先々で「こんなことやってる奴がいる」って俺のこと話してくれてたんだよ。
そうやって業界内でも俺の名前が伝わっていってさ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。
◯ これは後で聞いたんだけど、一度小坂さんが伊東さんに
「小泉はどうよ?(使い物になるか)」って聞いたらしいんだよ。
そんなこと聞かれてる時点で、俺はプロじゃないってことじゃん?
だけどその時、伊東さんが「彼は見込みあります!」て言ってくれたらしいんだ。
だから本当に恩人だよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そうか、オペレーターになりたいと思って経験積んできたわけじゃないから、
     その時点では師匠も仲間もいなかったんですよね
◯ そう。俺はあくまでギタリストだから、それまでオペレーターやってたわけでもないし、
スクール行ってシンセの勉強してたわけでも、誰かに習ったわけでもないからね。
コンピューターや技術的なことは、それまでもいじくってきてたからアドバンテージは
あったと思うけど、それはあくまでピコピコ動くデーター上の話じゃない?
でも音色(シンセオペレート)に関してはそこから始まったんだよね。 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ つまり、コンピュータープログラマーとしての小泉洋と、
     シンセサイザーオペレーターとしての小泉洋は、
     スタート地点が別だったということですね?
◯ そうだと思うよ。
極端な話、昨日までアマチュアだった奴が、ある日突然仕事になっちゃったようなもん。
伊東さんに紹介してもらって、一度だけ迫田さん(注)にも会ったりもしたけれど、
オペレートに関して何か習ったわけじゃないし、結局なにもかも独学だよ。
「RAINBOW RAINBOW」のレコーディングしながら、シンセの技術を磨いて、
新しい機材も覚えて、音色作るってこういうことなんだって分っていったんだ。
それがプロの仕事として残っているのは、怖いことだよね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ それがレコード屋で他の(ベテランが手がけた)レコードと
     横一列に並んでるわけですもんね。
◯ そうそう、真面目にそうだよ。しかし今思うと、若さって凄いよね。
0からスタートして1年であそこまで成長するんだから。 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 単に音を出すっていうことじゃなく、
     それを "作品" にまで持っていくっていうことですよね。
     それは若さだけじゃないと思いますが…。


 (注)迫田至(現・到)氏
    「GORILLA」から「CAROL」までの音色を作り上げたシンセサイザーオペレーター。
    奇しくも小泉氏同様、ギタリスト出身である。なお小泉氏の抜けた後、
    代わりのオペレーターとして迫田氏に声をかけたのも、伊東俊郎氏だそうです。








♫ PPG 〜You Can Take It Satisfaction〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ではここで、せっかく小泉さんに伺っているので、機材の話を少々聞かせてください。
     「RAINBOW RAINBOW」には機材クレジットが一切無いので、
     「CHILDHOOD'S END」のクレジットを参照させていただきます。







⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ まず、PPG WAVE が "2.2"と "2.3"、2つ書かれていますがこれは?
◯ それは買ったときは "2.2" で、途中で基盤交換だったか
なにかのバージョンアップサービスがあったんだよ。それを受けて "2.3" になったわけ。 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ じゃあ、2台あって使い分けてたということではないんですね。
◯ うん。多分レコーディングの途中でバージョンアップしたんだろうね。
それで、そういう表記にしたんだと思うよ。(これについては補足エントリーも御覧下さい)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ PPG WAVE って、たしか "2.2" だとMIDI 端子ついてなかったですよね?
◯ ああそうだ!確か買うときにフランクフルト・メッセ(注)の情報かなにかで、
将来的に MIDI 端子が付くって知ってたんじゃないかな。それで楽器店に
「バージョンアップサービスが始まったら受けさせてね」って確認して買ったんだ。 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ じゃあ、バージョンアップするまでは
     CV/GATE(注)でコントロールされてたんですか?
◯ うん。PPG とか Prophet は、MIDIからCVの変換器を使ってね。
でもそれだと1音ずつしか録音できない(和音で鳴らせない)から大変だったね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 3和音を録音しようと思うと、1音ずつ3回、同じ部分を録音しなきゃいけなかった
    ということですね。それは時間がかかりますね。
     PPGといえば WAVETERM もクレジットされていますが?
◯ ああそれは俺のじゃなくて、外部にお願いして持ってきてもらったんだよ。
そもそも俺が PPG を買ったのは、その WAVETERM と組み合わせると
サンプラーみたいに使えるからってことだったんだよね。
だけど Emulator II が出てきて、そっちを買った方が安いし、
音のバリエーションも増えるからってことで Emulator II に流れてったんだ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、確かに当時の PPG の広告でも
   「この2つを組み合わせると、こんなにお安く Fairlight(注)の様なことができます」
     って言ってましたね。まぁ "お安く" といっても、2つ合わせて500万以上でしたが…。
     では、実際に導入されたのは85年に入ってからですが、
     もう最初からサンプラーを導入しようという案はあったわけですね。
◯ うん。結局サンプラーがないと、オケヒット1つ鳴らせないからね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ TM は一切、Fairlight と関わりがありませんでしたが、やはり憧れはあった?
◯ いや、あったけどさあ、金銭的に無理でしょう(大笑い)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(笑)ちなみに今まで使った機材の中で、1番思い出深いのはどれですか?
◯ 思い出深い?うーん、もう山ほど使ってきたからなあ、特にコレって言われても…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 先程の雑談中から、やたら PPG の名前は出てきてましたけれど。
◯ ああ、それは初めて買った高級機材だったからね。そういう意味ではやっぱり PPG かな。
PPG はクセが強くてね。他のアナログシンセとかだと、つまみの位置を見ただけで
大体こんな音が出るんだろうなって分かるんだけど、PPG はちょっとつまみをいじっただけで
ビヒャー!って、とんでもない音になってちゃって。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ じゃじゃ馬だったと。
◯ そうそう、じゃじゃ馬。だけど面白いシンセではあったよ。
まあ今、PPG あげるって言われてもいらないけどね(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(笑)逆にこれは買って失敗だったっていう機材はありましたか?
◯ … Prophet(注)かな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え? Prophet 5 が失敗?
◯ 俺の買った Prophet 5 はCV/GATEの改造がしてあったのよ。
その後すぐMIDI端子の改造が出てきてさ。買う前に言ってよーっていう(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、失敗ってそういうことですか(笑)
◯ それで仕方ないから、代わりにOberheimの OB-8 を買ったんだよね。



 (注)フランクフルト・メッセ:Frankfurter Musikmesse
    アメリカで開催される “NAMM Show” と並ぶ、世界最大の楽器・音響機器等の
    国際展示商談会。各楽器関連メーカーから多数の製品発表などが行われる。

 (注)CV/GATE
    MIDI規格の成立する以前に主流だった、電圧コントロール方式の規格。
    ただ現在でも廃れたわけではなく、
    MIDIよりも反応速度が速いなどの理由で愛好者は多い。

 (注)Fairlight:フェアライト
    シンクラヴィアと並ぶ、80年代を代表する『ミュージックシステム』
    値段はお察しください…。



 (注)Prophet 5
    Minimoog と並ぶアナログシンセの雄!名器!
    1978年に発売され、世界中のミュージシャンがこぞって使用した。

























♫ CHRISTMAS CHORUS 〜HAPPY BIRTHDAY YOUR POINT〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さて「RAINBOW RAINBOW」といえばファンはみんな気になってると思うんですが、
     作ったもののアルバムに収録されなかった曲がいくつかありますよね。
◯ ん?…えーと、何かあったっけ?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 僕たちファンが聞いてた話だと「グリニッジの光を離れて」とか
   「HAPPY BIRTHDAY YOUR POINT」とか…
◯ ああ、あったあった!これでしょ? (突然鼻歌を歌い始める) 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?…え?
◯(鼻歌がサビに入ると、突然聴き慣れたメロディーに)♫〜ハッピー、バースデートゥー
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ?それですそれです
◯ カノン形式だよね。俺、哲ちゃんの曲の中でもこの曲が特に好きでさあ。
好きってあれだよ、大学時分からってことだよ!
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?大学生の時からあった曲だったんですか
◯ うん。昔から哲っちゃんが暖めてた曲。
俺、好きだったから、いつもこの曲やろうよ、この曲やろうよって言ってたなあ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ で、結局レコーディングはされたんですか?
◯(ニヤリとして)俺と哲ちゃんとでは、やった。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ …。いやいや、そうでは無くって(笑)
◯(笑)デモは作ったの憶えてるよ。知ってる?この曲、昔は歌詞違ったんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ いやいやいやいや。歌詞違うって言われても、
      僕たち完成版の歌詞すら知りませんからねっ!リリースされてないんだから
◯ え、なに?この曲ってリリースされてないの?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ はい。
◯ ほんとに?だって俺、何年か前に黒川さんて言うJAZZの人のレコーディングに行ったら、
小室さんの曲をやるって言うから聴いてたら、この曲だったんでびっくりしたんだよ? 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?ええ?ああ、それはたぶん「CHRISTMAS CHORUS」という曲だと思います。


   (以下、2曲の関係性について説明。帰宅してから調べると、やはりそのようでした。
       このCDでは、作曲/小室哲哉・木根尚登 編曲/小泉洋 と
         図らずしも3人が顔を揃えていることになります)
          → http://ja.wikipedia.org/wiki/黒川泰子


◯ ふーん、そうなのか。いい曲だと思うんだけどなぁ。
ひょっとしたら当時のTMがやるにはPOPすぎたのかもしれないね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちなみに他の曲は憶えていらっしゃらないですか?
◯ うん、ごめんね。
とにかく「HAPPY BIRTHDAY YOUR POINT」は俺すごく好きだったから、
それだけは、はっきり覚えてるんだよ。









♫ ドリーム・ラッシュ 〜努力の天才と天才の努力〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 「RAINBOW RAINBOW」に参加されたミュージシャンについて聞かせてください。     
     当時、小室さんはよく、北島健二さん、山内薫さん、阿部薫さん等、
     アマチュア時代からのミュージシャン仲間で作ったとおっしゃってましたが、
     その中にあって浜口茂外也さん(perc.)や、中村哲さん(Sax)という、
     当時すでにベテランの方が参加されていますよね。これはどういった経緯で?
◯ あーそうだね!茂外也さん来たね!そこらへんの方は小坂さんが呼んだんだと思う。
ていうのは、小室もスピード・ウェイも自分たちで(バンド内で)やっていくのには
慣れてたけど、TM になって "ちゃんとしたプロのレコーディング” って、
右も左も分らないって面もあったのよ。
だから、プロデューサー(小坂氏)が入って、セミプロみたいな仲間内じゃなく、
ちゃんとしたプロのミュージシャン呼んでって、1枚目(「RAINBOW RAINBOW」)の
制作体制はそういう形式美的な部分もあったんじゃないかな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そう言いつつ、小泉さんはスルっとその場にいたわけですね(笑) 
◯ いたね、俺はいたね(笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ さすがに浜口さんレベルの方だと(演奏内容は)おまかせですよね? 
◯ もちろん。そもそも哲っちゃん、譜面書く人じゃないしね。



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 先程、雑談中に『努力家と天才肌』というような話がありましたが、
     天才という言葉が出た途端に “北島健二” とおっしゃいましたよね。
◯ ああ、健ちゃんは小室との絡みで17〜8の時から知ってるんだけど、彼は天才だよね。 ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ と、言いますと?
◯ もちろんプロを目指す以上、努力するのは誰だって当たり前なんだけど、
同じ努力をしても彼の方が巧くなるんだよ。なのに平気な顔してニコニコしてるの。
それはもう才能の差!
これは俺の人生観だけど、才能が無くてもそいつの三倍努力すれば追いつけるとは思うの。
でも、追いつくことは出来ても抜くことはできない。それが才能の差。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、それは分ります。しかも同じギタリストだと
   (ひとつひとつのプレイテクニックなど)それがどれだけ凄いことか分りますもんね。 
◯ そうそう。だから俺は「努力することの天才」であろうとするんだけど、
やっぱり最後の最後で追いつけないんだよ。
本人はヌボーとしてて、ゆっくりした感じの人なんだけどね(笑)



⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ そういう観点からだと、小室哲哉という人に関してはどう見られていましたか?
◯ いやーどうだろう…。俺、昔から哲っちゃんに関してはうまく言語化できないんだよね。
健ちゃんはあっさり ”天才” って呼べるんだけど、小室はなぁ...うん ”非凡” ではあると思う。
非凡ではあるとは思うんだが、別にキーボードがさりとて巧いわけでもないし…、
やっぱり曲だろうね。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ。
◯ 逆の言い方になっちゃうけど、小室の売れてる曲ってみんな似てるじゃない(笑)
当時、こーじ(久保こーじ氏)が一緒にレコーディングしてるとき
「小室さん、コレあの曲と一緒じゃないですか?」って言って、
哲っちゃん、ハッとして「早く言ってよ!こーじ」ってことなんかあったり(大笑い)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯(大笑い)
でも似てるけど、それはひとつの形式美というか、
世界感を持ってたってことなんだろうと思うんだよ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。
◯ で、その彼が持ってる形式美みたいなのが今は当たり前になってるじゃない?
アップテンポの曲だとほぼね。その影響力は凄いと思うよ。



◯ ただ小室は着眼点においては天才肌だと思うけど、基本は努力型に近いと思うよ。
例えばだけど、学生の頃2人でよく桑田(桑田佳祐)さんとか、佐野(佐野元春)さん、
ユーミンなんかの歌の分析なんかをやってたの。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ え?
◯ 基本、2人ともRockだったから英語の歌詞はいいんだよ。
でも(日本のマーケットでデビューするには)日本語にしないといけない。
だから「日本語なのに英語っぽく聴こえる」ていう点で
佐野さんの歌はこういう風に叩き込みがある。ユーミンはこう歌ってる。
とか、そういう風な “分析” は日々すごくしてた。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ へー!
◯ だから佐野さんなんかの影響が、なんだっけ…宮沢りえが歌った…(Aメロを鼻歌で歌う)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 「ドリームラッシュ」!!
◯ 音のたたみかけ方とか佐野さんそっくりだったりするじゃん?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ あー確かに!!今まで考えたこともありませんでしたが、
     言われてみると「アンジェリーナ」のAメロなんかと同じ感じだ!!
◯ 大学時分なんか、会えばそういう話ばかりしてたんだよ。
叩き込み方が〜とか、長音がどうだ〜、とか。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 演出的な意味もあって "小室哲哉の努力" という面は、ほとんど語られないので、
     とても興味深いです。









♫ カリビアーナ・ハイ 〜たじたじの誘惑・少し休ませてくれよ〜


⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 話題は変わりますが、デビュー当時 “TM NETWORKはライブをやらない”
     ということになっていましたよね。だけど実際には…
◯ え、そうなの? 俺、そんなの初めて聞いたよ!ほんとに?
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ えええ?!
◯ だって、ずっと哲っちゃんから「洋ちゃん、なんとかならない?」って
相談受けてたから、とにかく彼の願いをどうやったらかなえられるのか、
全身全霊をかけて、ライブのシステムも全部俺が考えてたもん。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ、なるほど。つまり「ライブをやらない」って言うのは完全に外向きの
     言い訳というか時間稼ぎで、ご本人たちは常に方法を探ってたってことですね。 
◯ そうだと思うよ。あの頃はライブをやるごとに試行錯誤していて、
それの集大成として、PARCOのライブにつながっていったんだと思う。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 方法論として「ライブはライブ」と割り切る、というお考えはなかったんでしょうか?
     例えば打ち込み無しで、全部バンドが生演奏出来るアレンジにするとか、
     コンピューターの代わりにテープを使うとか。
◯ そこはプライドの問題ってのもあったの。
プレッシャーは凄かったけど、革新的なことがしたい!っていう。
まあ、若かったんだね。今だったらテープにしましょうよってなるんだけど(大笑い) 
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ (大笑い)
◯ やっぱり誰もやってないこと(パソコンを使ったライブ)だったから、
やってみせたかったんだよね。
だから舞台監督と相談して、俺のブースだけ電源は外から2系統ひいてくれとか、
スライダックを通してくれ、とか全部俺が交渉したんだけど、
ただ、その交渉も(当時のTMは)売れてないから大変でね…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ああ…、売れてない立場で今までにないことをやる、というのは
     相当な軋轢があったでしょうね。しかも、その矢面に小泉さんが立つことになったと。
◯ はじめはみんな、小室のとこに行ってたんだけど、
結局「詳しくは分らないから、小泉と相談してみて」ってことでさ。
そのうち音響も照明も直接、俺のところに相談しに来ることになっちゃって、
結局、休む間が唯一無いのが俺!みたいな状況(苦笑)
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 当時のメンバーも「小泉はいつも寝てない顔だった」って言ってましたよ(笑)
     しかもそんなことやりながら、肝心の音楽面でもライブ用に
     一から打ち込みを作り直してますよね。
◯ ほんとバカだよな、俺(大笑い)いや、哲っちゃんもそうだけど、
若い時の俺らは『面倒くさい』という感覚が一切なかったんだと思う。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ (笑)『面白い』即『やろう!』みたいな?
◯ そうそう。今だったら「手間も増えるし、このままでいいじゃない」みたいな
"大人の意見” が出てくるんだろうけど、あの頃は「あ、それいいかも!」てなったら、
哲っちゃんも「あ、面白そうだね。じゃあ洋ちゃん、ちょっと頑張って」って感じで、
俺も「よし、やるぞ!」って…。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ でもそれじゃ、小泉さんの負担が増えるだけじゃないですか!?
◯ いや、別に哲っちゃんだって変な奴じゃないからさ「付き合うよ」ってウチに来てくれて。
友達だったわけだからさ。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ しかもその打ち込み直しも原曲をなぞるのではなく、例えば「イパネマ '84」など、
     本来ピコピコが入ってない曲でも「1974」ばりのピコピコ音が入ってますね。
     これはどういった意図で?
◯ よく憶えてないけど、それはたぶん小室の意向だね。
せっかくパソコンを使ったライブをやるんだから、
なるべく同期を取り入れる形でアピールしようってことだったと思う。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ちょっと話がずれますが、PARCOライブなど初期のライブで小泉ブースに
     モニターが2台置いてあるのも、そういうアピールですよね?
     これひとつはパソコンですけど、もうひとつは何ですか?
◯ たしか使ってる機材の中で、
モニターにつなげてパラメータを映し出せるシンセがあったんだと思う。
まあ2台並べてあるとカッコいいっていうハッタリもあって置いてたんじゃないかな。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ なるほど。では、こういうテクノ的なピコピコは本来目指す方向ではないにしろ、
     1984年の TM NETWORK はこれ押しで行こうと?
◯ いや、もちろんコンセプトとして "ウリになる” というのはあっただろうけど、
ある意味哲っちゃんは純粋な人だから、そういうピコピコも面白がってやってたとは思うよ。
もちろん彼は生ドラムも好きだし、これ(打ち込みサウンド)が全てではないにしろね。



◯ ただ「1974」を発展させる形で『テクノ』に向かうことはありえなかったと思う。
哲っちゃんの好みも、俺の好み的にもね。
俺達が目指してたのは『プログレッシブ・ハード』だったから、
そこはセカンド(CHILDHOOD'S END)に向けて
「俺達はテクノじゃなくてロックなんだ」って軌道修正してったんだと思う。








         【小泉洋氏インタビュー / その2】ここまで








別エントリーとして補足説明を用意させていただきましたので、
引き続き、そちらを御覧ください。

・祝!30th【小泉洋氏インタビュー / その2】- あとがきと補足