2014年11月29日土曜日

【重大告知】1984年 TM デビュー! ん?そのピコピコはどこから来たの??

ミツカワです。
まずはみなさまにお知らせです。

この年末から年始にかけ、期間限定でこのブログのタイトルが
『TM NETWORK の重箱のスミ!』から
『TM NETWORK の重箱!』へと変わります!



え、お正月だからだろって?


違います。



『重箱』の名にふさわしい、ぎっしりと中身の詰まった 豪華な企画 となるからです。
(まあ、グルーポンおせち事件みたいなことにはならないと思う…思う…思う…)

詳細は後ほど。



今回はその特別企画の前振りとなるエントリーです。
来たるべきお正月企画に向けて、じっくりとご覧ください。











【ミツカワはそれを我慢できない】


ミツカワは不満だった。

今年は TM NETWORK にとってメモリアルイヤーということで、
メンバー自身がデビュー当時のことに触れる機会が多かった。
また、普段ならあまりその声を聞くことが出来ない方々のインタビューも読むことができた。


実はミツカワ、80年代の “旧・TM NETWORK" は
『プロデューサー・小坂洋二氏の作品』として捉えているので
「小室哲哉ぴあ TM編」に載った同氏インタビューは、とても興味深く拝読した。


また「キーボードマガジン」に掲載された、
FANKS期の音作りを担った シンセサイザーオペレーター、
迫田至(現・到)氏のインタビューもなかなか読み応えがあった。





しかし、これだけ一気に情報の渦が押し寄せても、
以前、書いたように相変わらず空白地帯が存在している。





特に初期(デビュー前から)のサポートである、
小泉洋・白田朗、両氏のインタビューが全く行われていない。

また本来なら ”あって当然” すぎて忘れがちではあるが、
久保浩二氏のインタビューもあまり読む機会がない。

個人的には、1987年武道館公演を終えた直後のインタビューで
小室哲哉がその名をあげ「感謝する」と話していた、
ローディーの清野(セイノ)公雄氏の話も、
なかなか興味深いものが出てきそうで聞いてみたいものだ。

ちなみに清野氏は「CAMP FANKS '89」関連の映像を見ていると、
サポートミュージシャンよりも多く(?)写っている。


















折に触れ、自分は熱心なファンではないと言う 謎アピール をするミツカワだが、
その理由をはっきり書いてしまうと
ミツカワは TM NETWORK のファンであっても、
小室哲哉・宇都宮隆・木根尚登、各氏個人のファンではないのだ!

ミツカワが30年来 TM NETWORK を好きだった理由は
『TM NETWORK と言う
(メンバー3人を含めた)スタッフ・ワーク』
がたまらなく好きだったから。


そういう意味で、すでに鬼籍に入られている方は仕方がないとしても、
先に書いたような空白地帯は非常に残念である。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






しかしミツカワの感じている不満は、そういう個人的な嗜好の話だけではない。
先に挙げた方々の中でもミツカワが特に別格として重要視している人がいる。


この重箱Blogでも何度かとりあげている『小泉洋氏』である。


























【以前の関連エントリー】


【順序は前後しますがこちらもどうぞ】






その理由は、デビュー当時からのファンの方には言うまでもないだろう。

しかしブレイク以降、ましてやTKブームなどの後追いでファンになられた方には、
いまひとつピンとこないと思う。

それは小泉氏本人のインタビューが残っていないということと、
商品化された映像内でもはっきりと写っている場面が少ない、ということがあると思う。

ファーストビデオの「VISION FESTIVAL (journey to saga)」では、
ライブ部分にガッツリ出演しているのに、
ライナーにはクレジットさえされていない



そこで、まずはTMメンバーの発言をご覧いただきたい。










【小泉洋は単なるサポートではない】


ここで参考とするのは、1986年末に発売された
Personal Book『EARTH』に掲載された、
その時点(最新シングル「All-Right All-Night」)での、全曲解説コーナーだ。



関係のある部分のみ抜粋したが、けっこうな長さになってしまった。
本エントリーの中核部分になるので、ご容赦願いたい。
(見づらい場合はクリックしていただけば拡大します)






まずはアルバム「RAINBOW RAINBOW」について。





































































次にアルバム「CHILDHOOD'S END」から


























































いかがだろう。これを読むだけでも
『コンピュータープログラマー・シンセサイザーオペレーター』
という肩書きから受ける印象とは異なり、
初期の曲作り、さらに時には歌詞の作成時(!)にまで関わっていることが分かるだろう。

しかも、スタジオでの作業以外にも、
彼の自宅に TM NETWORK の3人が集まって作業をしていたことが分かる。








       さらに もう一つ、重要なこと がある。







それは、小泉洋は小室哲哉の 高校時代からの友人・同級生 だということだ。

つまり小室哲哉が宇都宮隆、木根尚登と出会う前から、
2人は音楽仲間であり、友人関係だったということだ。

この、メンバーと上下関係、あるいは仕事関係ではなく、
アマチュア時代からの横並び一線の立ち位置だったというのは、
その後の多くのサポートミュージシャンと違う点である。

セミプロ時代からの付き合いという意味では、
白田朗や北島健二などがいるが、
彼らは曲作りの段階から参加しているわけではないし、
アマチュア時代からの近所付き合いというレベルでもない。





端的に言えば、
木根尚登に宇都宮隆がいたように、
小室哲哉には小泉洋がいた、
というような関係だったと思われる。






このメンバーとの関係性と、先に挙げたレコーディングの実態を考え合わせると
この時期の TM NETWORK とは、
小室哲哉+宇都宮隆+木根尚登+小泉洋 の4人組
と言っていい実態だったのではなかったか?

さらにデビュー直後は、木根尚登が影のメンバー扱いだったわけで、
そう考えると、ますます混沌としてくる。



実際、当時のライブで宇都宮隆は小泉洋をこう紹介している。


   宇都宮「えー、こういったライブやレコーディングとかずっともう、
       TMが結成されてから、ずっと手伝ってもらっているんですけど…」

   客席 「小泉さ~ん」

   宇都宮「(苦笑)知ってる人は知っている」

   客席 「(笑)」

   宇都宮「もう、TMの分身と言ってもいいくらいなんだけど…
       コンピュータープログラマー&キーボード・小泉洋!」

               (1985年2月、広島での初コンサートより)








    ミツカワが『小泉洋』にこだわる理由がわかっていただけただろうか?








しかも、よく使われる "4人目のメンバー" などという立ち位置ではなく、
場合によっては
『4人目』どころではなかった 可能性すらうかがえる。



次の項目を見てほしい。










【ん?そのピコピコはどこから来たの??】


TM NETWORK は1984年
シンセサイザーとコンピューターによる打ち込み
を駆使したグループとしてデビューした。

この "シンセサイザーとコンピューター” というパブリックイメージは、
デビューから30周年を迎えた今に至るまで、揺らぐことなく続いている。





だが、しかしである。
その 基本中の基本が ミツカワには であった。





本来、特に小室哲哉がアマチュアからセミプロへの道を歩んだ70年代においては、
シンセサイザーとコンピューターは無関係であった。

シンセサイザーはあくまで
『特殊な音が出る(作れる)鍵盤楽器』(注)に過ぎなかった。
つまりピアノやオルガンと同じである。

  (注)元は『鍵盤』楽器ですらないが、
     ここでは当時、小室哲哉が使っていた機種に限定して『鍵盤楽器』とする。





"シンセサイザーと小室哲哉” に関しては疑問を挟む余地は無い。
大阪万博での出会いや、その後の遍歴など本人の口から何度も語られている。





問題なのは "コンピューターと小室哲哉“ だ。





例えば ”GIZMO” あるいは ”SPEEDWAY” 
そして TM NETWORK 結成直前の ”小室哲哉 and STAY” など、
TM NETWORK デビュー以前の活動からは、
シンセサイザーへの傾倒は感じられても、
コンピューターの打ち込み音は微塵にも感じられない。

せいぜいシンセサイザーに内蔵されたアルペジエーターを鳴らす、
あるいはリズムマシンを鳴らす程度であって、
70年代末期にすでに世間を席巻していた、そして後に TM NETWORK でも導入される、
『コンピューターのプログラムによってシンセサイザーを自動演奏する手法』には程遠い。
むしろ対極にあるといってもよいほどだ。







では TM NETWORK、ひいては小室哲哉とコンピューターの打ち込みは、
いつ、どうやって結びついたものなのだろう?







ここで2つの発言を見ていただこう。


清水「(最先端のデジタル機器について)結構古くから?」
小室「いやそうでもないです。
   僕は意外とデジタルっていうのは遅れてて、MIDI なんかもね、
   もう結構ずいぶん、もうみんな知って浸透してから使い出して…
(1986年・アルバム「GORILLA」発売時の清水信之との対談より)




さらに1年遡る。




平山「小室君とはね、けっこう前から知り合いで、
   ある意味ではさ、アナログのプレーヤーだったと思うんだよね」
小室「そうですね」
平山「特に最初の頃はね。それがさコンピューターと出会ったのって、いつ頃だったの?」
小室「まだ2年になってないですね。う~ん、2年位かな?
(1985年5月・シングル「ACCIDENT」発売直前の平山雄一によるインタビューより)





いかがだろうか。
1985年5月の時点で2年前位という事は、1983年春から夏ということだ。
つまり小室哲哉は TM NETWORK の結成時に
初めてコンピューターと(音楽的な意味で)出会ったということになる。





断っておくが、この時代のコンピューターは
ミュージシャンが今日初めて触って、明日からすぐに使えるような代物では、
とてもではないが、ない。





ならば、小室哲哉が自分のリーダーグループを作るにあたって、
シンセサイザーはともかく、
コンピューターを活用したグループなどという構想は
どこから生まれてきたのだろう?






さらに同インタビューでの次の発言。


小室「とにかく友達が(コンピューターを)買ってきて…で、なんか、
   (自分は)とてもコンピューターと音楽が結びつくとは思ってなかったから…」
             〜 中略 〜
  「~ あんまりアイディアと結びつかなかったんですよ。
   で、それを聞かせてもらって、いろいろやれるっていうのを。
   どういうことできるの?どういうことできるの?っていうのを
   どんどんどんどんやっていったら…」


この発言は決定的ではないだろうか。
この発言の『友達』というのは 当然、小泉洋のことだ






つまりは、1983年 グループ結成時、
そこに小泉洋がいたから 
TM NETWORK は打ち込みのユニットとしてデビューしたのではなかったか?

もし彼がいなかったら、今ごろ『小室哲哉は、1984年から、EDM。』
なんていうハッタリをかませただろうか?
















































もちろん、派手で新し物好きの小室哲哉のことであるから、
いずれはコンピューターの打ち込み音にのめり込んだとは思われるが、
少なくとも1983年結成当時の構想、及び同年10月からレコーディングが始まった
デビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」は、
あのような音にはならなかった可能性がある。

ひとつの可能性として、木根尚登著「電気じかけの予言者」に
「1974」のデモテープを作る際の手法として書かれている、
リズムマシン + その当時よく行われていた、
手弾きのフレーズをテープの速度を変えることによって機械風にする、
なんちゃってシークエンス などを駆使した、
シンセ多重録音作品となっていたのではないか?





デビュー2年目の1985年までは、小室哲哉本人が、
『実際に打ち込んでいるのは自分ではない』と明言しているし、
TVで機材などを紹介するときも、小室哲哉は鍵盤を弾いているだけ
パネルの操作は横に立った小泉洋が手を伸ばしてスイッチを押すという
二人羽織状態 がみられた。

この時期までは、実際に音を具現化する作業は "小室哲哉と小泉洋の二人三脚” であり、
場合によっては "小泉洋におんぶにだっこ” だったわけだ。




ちなみに1986年以降、小室哲哉自身がコンピューターによる打ち込みを始めるが
これはソフトウェアのバージョンアップにより、手弾き入力が可能になるなど
(技術屋ではなく)ミュージシャンが扱いやすくなったことが大きな要因と思われる。

つまり ”打ち込みなのに全編手弾きで入力する” という、
小室哲哉独特のデーター入力スタイルは、
これ以前には成立しない。












【実は我々は TM NETWORK のことを何も知らないのではないか?】



となると、「TMN Groove Gear」に収録された「Introduction (Any Time)」など
"TMデビュー以前に小室がEpic/Sonyに持ち込んだデモ音源” なる物の、
制作時期や使用機材が気になるところだ。

少なくとも「Introduction (Any Time)」は、
1トラック、かつ単音ではあるが打ち込みの音が鳴っている。
(だからといって全曲、打ち込みが入っていた確証はない)




そもそもデビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」は、
どういう機材を使ってレコーディングされていたのだろうか?
使用シンセサイザーは音を聴くことで、ある程度判断がつくが
打ち込み機材に関しては全く分からない。

セカンドアルバム「CHILDHOOD'S END」のライナーには
使用機材が事細かに書かれているが、
デビューアルバムには、一切書かれていないのだ。




また、先に書いた1985年5月の平山雄一によるインタビューで小室哲哉は、
やらないと言いつつ、初ライブ(1984年6月)をやった動機を聞かれ
「去年のまだ春って言うと、同期物でライブっていうのは、
 世界でまだあったか、なかったかっていう…そういうギネス的な発想で(笑)」
と語っているのだが…
何が世界で初めてなのだろう?

打ち込みとの同期ライブは、
すでに YMO がペンペン草も生えないレベルでやりつくした後である。
もちろん小室哲哉がその事を知らないわけがない。

だとすると、何が世界初なのだろう?




そういえば、デビュー前に作った「1974」のデモテープ。
木根尚登の著書「電気じかけの預言者」では、
小室哲哉が1人で ドラムマシン と KORGのPolysix だけで作った、と書かれているが、
以前こちらにも書いたように、当時から付き合いのあった白田朗氏の回顧録によると
24トラックを駆使した、小泉洋によるバリバリの打ち込みサウンドだったと語っている。

???

ということは、デビュー前に作られたという
「1974」のデモテープは、2種類存在するということなのか?




その他諸々、あんなことこんなこと…
考え始めると際限なく疑問が湧いてくる。










   ☆☆【発表 / 30周年特別企画!!】





ここまでお読みいただけば、ミツカワの感じている
飢餓感 が分かっていただけただろう。

TM NETWORK の創成期 ~ デビュー、
さらに言えば小室哲哉の音楽遍歴を語るときに、
非常に重要な Piece が欠けたままなのだ。


しかし30周年も終わりが見えてきた中、
このメモリアルイヤーを逃してしまえば、
小泉氏の話が聞けるチャンスは二度と訪れないのではないかという、
不安感・焦燥感が日に日に大きくなってきている。


ここまで表に現れないという事は、そこに何かしらの事情があると言う事は推測できる。


だが、特に技術革新の著しい80年代初頭にデビューし、
30年も続いたプロジェクトと考えると、
TM NETWORK という単独のグループにとどまらず、
日本のポップス史、あるいは録音技術史という観点からも、
いわゆる つくられた『ストーリー』ではなく、
その実態を記録しておくべきではないのだろうか?




というわけで、思わず肩に力が入った文章になってしまいましたが、
TM NETWORK 30周年ということでミツカワ、
この件に限り、一線を超える ことを決意しました。







             発表いたします。







この年末年始、重箱Blogでは『TM NETWORK 30周年特別企画』として
ミツカワによる

    『小泉洋氏・対面インタビュー』
     お届けすることになりました!!


ミツカワの知る限り、おそらく史上初の小泉氏の肉声となります。(違ったらごめんね)



前編は年末、帰省ラッシュの頃にエントリー予定!
キーワードは『たこ焼き(?!)』です。


どうぞお楽しみに!!







2014年11月1日土曜日

Tour QUIT30 初日レポート / TM NETWORK がいてよかった





























さて「Time To Count Down」も真っ青なスピードでやって来ました、
2014年10月29日!

本年・2回目となるツアー
「TM NETWORK 30th 1984~ QUIT30」初日です!!




とにかく 1年の内に、2回もツアーがある なんて
1991年の「RHYTHM RED TMN TOUR (3月終了)」~
「TOUR TMN EXPO (9月開始)」以来、23年ぶりです!!
正直ミツカワは、再びこんな日が来るなんて思いもしていませんでした。


この『1年の内に、2回もツアー』については思うところがあるので
後半に改めて触れることとします。


しかも、ただ数をこなすだけじゃない。
その内容の充実ぶり!!




ツアータイトルは「QUIT30」
しかし内容は
「TM NETWORK 始まってた!

これにつきます!!






さて、もう御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
改めて説明させていただきます。

当・重箱Blogの主、ミツカワは「ネタバレ」を
蛇蝎のごとく 嫌っています。
よってこのエントリーも、まだツアーは始まったばかりということで
セットリストや演出には、ほとんど触れないようにしています。



『じゃあ書くなよ!』って話ですが、
いるんですよね…
知りたい → でも知りたくない → やっぱり知りたい → でもやっぱり知りたくない~
という、メビウスの輪☆無限ループになる人が。


このエントリーは、
そんなあなたのためのエントリーです!!








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最初に総括してしまいますが、
ツアー開始前に飛び交った
「CAROL」「プログレ」「シアトリカル」などのキーワードから予想した内容…

また、サポートは春のツアーと同じ2名ながら
ステージ上に現われるのは基本的にメンバー3人だけという
変則的なステージ演出…

にもかかわらず、かなり
生演奏感・ライブ感にあふれたステージ でした。



アルバム「QUIT30」のプログレ・パートも、
「CAROL Tour」や「Tour Major Turn-Round」と違い、
セットリスト全体にバランスよく散りばめられていて、
重厚さとライブならではの躍動感の配分が絶妙でした。

『ど・マニアック』な内容 でありながら、
初めて TM NETWORK のコンサートを観に来た人にも、観やすい構成だと感じました。

これがどういう事かは御自分の目と耳で、
是非、確かめていただきたいと思います。


この絶妙な配分が、今後ツアーが続いていく中でどう変化していくのか。
気になるところです。







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小室ブースは、レイアウトは春のツアーと同じながら、
シンセは4台と、かなり数を絞ってきました。

最近の定番だった Nord Lead・Sledge・Rolandのシンセ群が姿を消し、
メインの2台にはYAMAHA MOTIF XF6 のカスタムモデル
「MOTIF QUIT30 EDITION」が使われています。
メインにYAMAHAのシンセが使われるのは、本当に久しぶりのことです。






















               会場にも展示されていました。








また、春のツアーでは小室哲哉を囲むように
四方にキーボードスタンドが設置されていましたが、
今回は背後のスタンドが無く、かなり風通しの良い見た目となっていました。




もう一つ、スッキリとした印象に貢献していたのが、
プロンプターの様な機材の導入 です。

ここ最近はメインのシンセの前に、
iMac および Apple Display が直に置かれていましたが、
客席の位置によっては、これが一種の壁になってしまっていました。

そのために春のツアーでは、
特別なスタンドを使用して、かなり角度をつけていましたが、
今回はそれをさらに押し進め、
半透明の薄い板状の機材に情報を映し出すようになっていました。

ミツカワはこの辺りの機材に明るくないのですが、
いわゆるプロンプターの様な物に見えました。


これによってスッキリとしただけでなく、
とても スタイリッシュな印象 も受けました。
昨年から続いた試行錯誤の完成形と言えるのではないでしょうか。







さて話は戻りますが、背後にキーボードスタンドが無く空いているのは、
そこから小室哲哉が頻繁に出入りするためです。


…ということで、


そう!事前に宣言していた
ショルダーキーボードの活躍です!!



ですがこのショルダーキーボード、
いわゆるゲゲゲゲのような “賑やかし” に使うということではなく、
シンセの音色でオブリガードやソロなど、
本来の鍵盤楽器としての使い方をしていました。


また 驚くほど、多くの局面で使われていました。


その際にはステージ前方に、
他のメンバーと同様、専用のマイクスタンドが立てられ、
その前で歌いながらショルダーキーボードを操るのですが、
これがもう『あのとき』のままの姿!!














              まさにコレ ↑ ほんとコレ ↑






さらにステージ上を自由に動き回れるため、
木根尚登のブースに宇都宮隆・小室哲哉が寄り添い、
3ショットとなる演出も、本当に久しぶりに見ることができました。





     やっぱりこういうのっていいよね ♫





            おまけ:『元』TM NETWORK の人たち

































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セットリストはツアー開始前の予想を裏切る、
まさかの『TMN』成分タップリ!
しかも「RHYTHM RED」押し?!

ここのところ口を開けば「CAROL」の話題ばかりだったので
誰がこの選曲を予想しえたでしょう。
完全にウラをかかれました。



また、編曲も派手に変えられたものから、
原曲の薫りを残したものまで幅はありましたが、
音の質感はアルバム「QUIT30」と統一されたものとなっていました。

このあたりが一時期落ち入りかけていた、
単なる "ヒットメドレー” とは一線を画して います。



実は初日、本来なら
小室哲哉の手弾き → その後シーケンス・スタートという流れの曲を

間違えて先にシーケンスを流してしまう
  → あわててストップ → 小室哲哉、苦笑いしつつ手弾きを始める。

という場面があり、客席にも笑いが起こったのですが、
派手にアレンジされていたために、その先走った2小節のシーケンスを聴いて
次の曲が何か分った人はいなかったのではないでしょうか?
ミツカワは全く分りませんでした。



また既発Singleの「LOUD」も、すでにライブアレンジが加えられていました。
「Get Wild」も、またまた新しいイントロになってますよ!



さらに特筆すべきこととしては
「君がいてよかった」が前半の山場を担っており
これもかなり意表を突かれました。

ミツカワはこれを観ながら「RHYTHM RED TMN TOUR」における
「REASONLESS」の立ち位置を思い出していました。
コンサート後、思わず
「君がいてよかった」を聴き直した方は多いのではないでしょうか。







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また今回の初日を観て、改めて感じたことがもうひとつ。

TM NETWORK は
とんでもない嘘つき野郎 だということです。



♫~
今年、某TV番組での『エアギター発言』が物議をかもした木根尚登。

実はミツカワ、ちょうどその時期
『木根尚登のエアギター疑惑/宇都宮隆の歌詞間違いを擁護する』
と題したエントリーを書きはじめていました。

しかし、そのキャリアの長さにもかかわらず、
マスメディアの性質を考慮しない不用意な発言に呆れてしまい、
そのエントリーは没 にしてしまったのです。


ところが今回のツアー、先のTV発言がマエフリだったかのように、
アコースティックからエレキまで、
ギタリスト木根尚登の魅力満載!!

ついには「Get Wild」のイントロでさえ、
アコースティックギターの激しいカッティング?!
(曲中ではエレキギターでプレイ)

木根尚登の嘘つき!




♫~
直前のラジオ出演時、某曲について
「Bメロのコード進行が難しいから、これからもライブではやらないですね
と、語った小室哲哉。

今考えてみると、通常ならこういう時、
「いやいや、そんなこと言わずにさあ、またやろうよ。
 ほら、この××さんみたいに好きだって言ってくれる人がいるんだからさぁ」
と、場をとりなす木根尚登が特にフォローもしなかったところに、
怪しいと気付くべきでした。


上の発言はつまり、
『今回のリハーサルで久しぶりにやったら、
 Bメロのコード進行が難しいことを再確認した』
…ということだったのね。

リーダーの嘘つき!




♫~
それに比べ、間違えそうになっても黙ってれば分からないのに、
つい、顔に出してしまうヴォーカルの方は正直者ですね…。

今回も音的にはうまくごまかせているのに、その表情から
「あ、今トチりかけたな」とはっきり分かる場面がありました。
「Alive」とか… (にやにや)






ということで
“Period” だか “ FINAL” だか “END” だか “QUIT” だか知りませんが、
今後ミツカワは TM NETWORK の発言を一切信用いたしません。
(元々信用してない説もあり)







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以前のエントリーで「CAROL Tour」の魅力は「ツアー」であることだ、
と、身も蓋もないこと を書きましたが、今回もそれを強く感じました。
選曲や一部の演出など、数日だけの大型コンサートではありえない内容です。
(一部、小屋の小さいホールクラスでしか出来ない演出が有り)



さらに今回はこれに加え、
活動を『続けること』の大切さ を痛感しました。



今回のライブは冒頭、
宇都宮隆が一人で舞台に現れるという珍しい始まり方をしたのですが、
彼が現れた瞬間、その背後に
本年春のツアー、4月26日の府中の森芸術劇場 〜 5月20日の国際フォーラムまでの
『積み重ねてきたもの』を感じたのです。




これはストーリーや演出という意味ではなく、
メンバーやスタッフの、テンションというか熱量のようなもののことです。




1年に1回、単発のスペシャル・コンサートを行うといった活動内容では
それがどんなに素晴らしい出来だったとしても、
次のコンサートは、また一から積み始めなければなりません。





ツアーの魅力として、変化していくこと、
その変化を積み重ねることによって最終日に向け、
高みに登りつめていく部分があります。

そしてそれは、1986~89年のブレイクに至る過程で見られた様に、
そこで途切れることなく、次のツアーへと手渡され、
さらなる高みへと積み上がっていきます。




今回のツアーも、前ツアー最終日の国際フォーラム公演の上に、
さらに積み上げた状態 からスタートしている。

これは一年に一回、大きなコンサートを2~3日やるだけ…を、
いくら繰り返しても生まれてこないテンション・熱量だと強く思いました。





いろんなアーティストが大御所化していくにしたがって表われる『変化』を
過去の全盛期を知るファンは
才能の枯渇、加齢、などが原因として挙げることが多いですが、
もっと単純な、この
『一定のローテーションで続けること』の重要性
を挙げる人は少ないため、
あえて別項目として書いてみました。





…と、まぁかしこまって書いてますが、すごく平たく言うと、

う〜ん、いつからかなぁ。
今年の中頃だったと思うんですけど、
音だけでなく、それこそ宣材写真からプロモーションまで活動の全てが
突然、妙にピントが合い始めている 様に見えたんですよ。
ミツカワには…。


だから、このあとに休んでしまうのは
もう単純に、そして純粋に、
もったいないなぁ…と。





そういう意味で、来年はともかく(もうスケジュールは決まっているでしょうから)
今後の TM NETWORK には、
ぜひ前人未到の活動領域に足を踏み入れてほしいと、強く思います。






           以上、ツアー初日レポートはここまで。







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ところでミツカワの10月29日は
これで『QUIT』ではなかった のだ。
書こうかどうか迷ったけど、いいや!やっぱり書いちゃえ!

注 / 以下は TM NETWORK に関係はありますが、本ツアーとは一切関係がありません。
  本当にヒマな方だけ御読みください。







 「この話はノンフィクションです。
  実在の人物や団体などとは関係あります。」







コンサート終了後、仲間達とJRの駅で待ち合わせすることになったミツカワ。
来るときは京急汐留駅経由だったため、JRの駅がどこかは知らない。


実はミツカワ、三国にその名を轟かせるほどの方向音痴 である。


真っ暗な横須賀の街が、一瞬にして闇のラビリンスとなりミツカワを飲み込んだ。
完全に方向感覚をなくして(というか初めから無いのだが)途方にくれたその時、
暗闇からロマンスグレーの老紳士と若い女性2人、
計3人のグループがこちらに向かって歩いてきた。




「すみません、JRの駅はどちらですか?」

ミツカワが尋ねると、その中の1人の女性が弾んだ声で言った。

「私たちも今から行くところです。御一緒しましょう!」




予想通り、駅とは 反対方向に着実に進んでいた ミツカワ。
地獄に仏である。
そのグループと御一緒させていただくことになった。






最初は老紳士と「いや~、初めての場所なもので(注)
などと話しながら歩いていたのだが、
そのうち自然に、最初に答えてくれた女性と話し込む様になっていた。
 (注)これは見栄を張っているだけで、
    べつに『初めての場所』じゃなくても、速攻で迷うのだ。







「せっかくだから少し回り道だけど、
 景色の良いところを歩きましょう」

突然そう言って女性は道をそれ、海辺の公園へと歩き始めた。


駅に仲間たちを待たせているし、それ以前にミツカワ自身、
急がないと帰れなくなってしまう。
…と思ったときには既に、ミツカワは女性と共に波打ち際の公園を歩いていた。

後ろの集団とは次第に距離が離れ、暗闇ということもあり
ほとんど二人っきりの状態だ。




周りの建物や船を指差しながら説明してくれる女性。

女性「横須賀もいいところでしょ?」
ミツカワ「うん、景色もいいし風も心地いいし雰囲気のいいところだなぁ」

いや、雰囲気が良いのは風のせいでも景色のせいでもない。

静かに響く波音。
そして横須賀の潮風が二人を優しく包んでいった…。





                             完。








     …となると思ったでしょ?!










ミツカワは気付くべきだった。
この『重箱のスミ!』で、そんなオイシイ展開など 起こるわけがない ことを。
この直後、事態が急変する!!
以下、嘘のようだが目撃者もいる 本当にあった話だ。









ムードたっぷりの横須賀の夜景に包まれ、二人の会話は弾む。


「今日は何しに横須賀にいらっしゃったんですか?」
「コンサートを観に来たんです」
「誰の?」
「TM NETWORK って言うグループ…」







次の瞬間、女性が発した言葉を音声そのままの状態で文字化する。


 

 『べぇ?!
   ギざんが来たんでああ 
      ここにぃいい?!!』







想定外の返事、想定外すぎる返事 である。
ミツカワは 完全に虚をつかれた。




「え、えぇ、来てました。
   ていうか、来てなかったらマズい状況 でした」

思わずよくわからない返事をするミツカワ。







どうやらこの女性、昔は かなりの FANKS だった模様。

「私、1枚目のベストアルバムが凄く好きで~」
「Gift for Fanks」について熱く語り出す彼女。

この『 ”1枚目の” ベストアルバム』という表現に、



「こいつ、わかってる…マジもんのFANKSや…」


と心の中で臨戦態勢に入るミツカワ。
雰囲気の良い海辺の公園が、一瞬にして戦場へと変わった。






「それで、2枚目のベストアルバムが出た時に~」
話題は「DRESS」に移ったようだ。
彼女の思い出語りは止まらない。

その頃付き合っていた彼氏の話 など、
本人とってはかけがえのない大切な、
そして他人にとっては、実に どぉーーーでもいい話 が続く。




完全に防戦一方のミツカワ。
なんとか主導権を取り返そうと
ツアーの話題に持ち込もうとする。



  「きょ、今日 New Album が出てね、それで~ ☆
      組曲が~ ☆
         今年は30周年で~ ☆」


休んだら負けだ。ミツカワは一気にまくしたてた。


「~というわけで、来年まで続くから絶対、観た方がいいよ!」
「へ~面白そうですね!…で、どんな内容だったんですか?」




来たっ! ミツカワ太はその釣り竿に 確かな手応え を感じた。



「それがね、完全に予想外だったんだけど、
 TMNの曲をかなり演ったんだよ!しかも「RHYTHM RED」の曲を!








       次の瞬間、女性のトーンが1オクターブ下がった。







   『あ「RHYTHM RED」か、だったらいいや…








そのとき、二人の間から音が盗まれた。
一瞬の…永遠の一瞬の静寂。



なるほど、この女性は ”終了” で離れたのではなく、
”リニューアル” で離れた FANKS だったのだ。
そりゃ、最近の活動なんか 知らないよな…… よな…… よな……








「あ、着きました!あれが駅です」
何事も無かったかの様に、元のトーンで彼女が言った。

暗闇から突然、煌煌と光る駅が現れた。
待ち合わせをした仲間達の姿も小さく見える。
不毛な戦い が終わりを告げたことを、ミツカワは知った。






さようなら。
どこの誰とも知らない 素敵な『元FANKS』のお姉さん。
道案内とサイケデリックな体験をどうもありがとう!
僕は君のことを(1~2週間は)絶対に忘れない!!






                 Fighting 〜 ミツカワのファイティング
                               完。