2013年6月30日日曜日

自由をその手に 〜『KX5』小室哲哉カスタム 〜 その3

前回の最後に
"『MIND CONTROL』についてはさらっと流して~ "
と書きましたが、ごめんなさい。
"さらっと" どころではなく、今回は一切ふれません。

もう一つのネタが膨らんでしまったので
『MIND CONTROL』については次回こそ "さらっと流して~" 
いくつもりです。



今回はいわば箸休め。
ポコ太の当時のストレンジな体験談と
それにまつわる非常に地味な『KX5』のカスタマイズのお話。




題して
[怪奇、皺がよる『KX5』!]







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前回のエントリーで述べたように
80年代後半、初めて楽器店に足を踏み入れたポコ太は
気がつけば、今は無き渋谷・道玄坂のYAMAHAで不定期に行なわれていた
無料セミナーに通うようになっていた。
(YAMAHA渋谷店閉鎖についてはこちらのコメントも興味深いのでよければどうぞ)


セミナーの会場はステージ部分も含め、
学校の教室をふたまわり大きくした程度だったろうか。
いつも薄暗い場所だったためよくわからないが
客席は60人程度が入るくらいの狭い場所だった。




時は1989年。夏から秋頃だったと思う。




それまで YMO や TM NETWORK を聴きながらも
なぜかシンセに特に興味のなかったポコ太だが、
この頃突然、鍵盤楽器に興味を持ち出し
いろいろ検討した結果、当時の新製品
YAMAHA『V50』にターゲットを絞りつつあった。


YAMAHA『V50』


















そこで出かけた『V50』無料セミナー。
講師の告知はなかったがフタを開けたら出てきたのは浅倉大介だった。
このころはまだ『EOS』関連でなくても、
予告もなく一講師として彼が出てくることがよくあった。


客の方も特に騒ぐことなく、
スタート時点では、いたって普通の "セミナー"






しかし中盤も過ぎたころ
まず、スタッフが騒ぎ始めた。


いぶかしげにスタッフの方にチラチラ目線を送る講師の浅倉大介。
じきに浅倉大介にも耳打ちが入った。
それまでセミナー講師としての役割を淡々とこなしていた彼の目が
急に泳いだのをはっきりと憶えている。






そしてうわずった声でこう言った。






『あの~、小室さんが…小室哲哉さんがですね。
 レコーディングに向かう途中で近くを通るからということで、
 コチラにいらっしゃるそうです(汗)






このセミナーは『EOS』では無く、あくまで『V50』のセミナーだったので
客は必ずしもTMファンでは無かったのだが、
それでも当時は TM NETWORK 絶頂期。
小室哲哉といえばシンセ関連の雑誌などで見ない日が無い勢いだった。






今度は客席の方がうろたえる番であった。






どうやらこの時点で既に小室哲哉は会場に到着していたようだ。
間もなく、会場中を不穏な空気にさせた張本人が現れた。



現れた彼の姿を見て呆気にとられる客席。
とても今からレコーディングスタジオに行くとは思えない
キメキメの格好にツンツン立たせた髪型。
ステージや雑誌で見るような、そのままの格好だったのだ。






『ガタッ』
スプリングのようにものすごい勢いで立ち上がり直立不動となる浅倉大介。


『どうも~~』
妙に低姿勢な挨拶をする小室哲哉。


『パ…パチパチパチ…』
雰囲気に飲まれてしまい、まばらでどうにも締まりのない拍手をする客席。








カオスであった。








実はポコ太自身も雰囲気に飲まれてしまい、そこからのことが思い出せない。
ただ、顔を見せるだけだと思っていた小室哲哉は
10分ぐらいだったろうか、意外と長く居たような気がする。



その中でどういう流れだか全く覚えていないが
客席との質疑応答(注)になって
ショルダーキーボードのエピソードを語っていた。






曰く
『自分はこんな体型なので、ショルダーキーボードを持つと
 骨盤にガンガン当たって痛いんですよ。
 そこで『KX5』の裏にクッションをつけてもらってます
とのこと。







…いや、実際はもっと実のある質問や回答がなされていたと思うのだが、
情けなくも何故か覚えているのはこの答えだけ。


その後、彼が去ったステージに残された浅倉大介の虚脱した表情を見て
密かに同情したポコ太であった。





ちなみに終了後、退出の際
入場時は一切ノーチェックだったのに
急な断りとともにカメラや録音機材などの持ち物チェックが行われ
お詫びとしてYAMAHAのステッカーなどが配られた。


(注)このような経緯だったので、もちろん仕込みなしのガチ質問
   スタッフのハラハラ感は想像するに余りある。







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というわけで初めて知った地味な工夫。
(そのかわり『V50』のことは一切わからなかったが…)
このクッションをつけた『KX5』は
数々の映像に記録されていて、現在でも確認することができる。



とはいえ、皆様お忙しい毎日をお過ごしでしょう。
「 "KX5の裏" なんて、いつ映るのかわからないのに、
 延々とDVDなんか視ている時間ないよ」
とお嘆きの貴兄方の為に、おまかせください!ポコ太が代わりにやりました



題して『世間よ、コレが暇人だ!』







では皺がよった『KX5』
その衝撃映像の数々をご覧いただこう。
(クリックすると拡大します)




              DVD『CAROL the LIVE』より「CAMP FANKS!! '89」第1部























しょっぱなからコレである。
今までの前振りがなければ、幼稚園のお遊戯に使う小道具にしか見えない。






                 DVD『CAROL the LIVE』より「CAMP FANKS!! '89」第2部























この出来を見ると、恐らく現場でスタッフが取り付けたものではないだろうか。






DVD『Digitalian is eating breakfast』より


初代『MIND CONTROL』
これ以降はクッション部分も、
設計段階から仕様としてYAMAHA側で作られているようだ。





DVD『RHYTHM RED LIVE WORLD'S END』より























こちらも初代『MIND CONTROL』
この皺のより方がポコ太の一番お気に入りだ。 …ってどんなフェチだよ!





V2 ビデオ『SPECIAL LIVE 1991.12.5 VIRGINITY』より























「EXPO」や「V2」の時期に使われた二代目『MIND CONTROL』
小室哲哉の親指がめり込んでいるようにも見える。





      DVD『TMN EXPO ARENA FINAL』『Digitalian is eating breakfast』より


















一方、こちらの『KX5』には、なにも貼られていない。
理由は…




                    ↓
                    ↓
                    ↓
                    ↓
                    ↓





こうなる運命だから(合掌)

























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なんだか今回は当ブログの趣旨である
『重箱のスミ』を極められた様な気がする。



まあ、一言で言えば
『ど〜〜〜っでもいいよね、こんなこと』





んじゃ、また。








2013年6月21日金曜日

自由をその手に 〜『KX5』小室哲哉カスタム 〜 その2

さて前回は1987年、武道館公演にむけて
ショルダーキーボード『KX5』のワイヤレス化を試みたものの
頓挫した経緯にふれた。


そこで今回は、ワイヤレスに憧れを抱きつつ
長ったらしいMIDIコードを引きずっていていた当時、
実際のステージではどんな事が起こっていたかなど
いささか雑感となるが見てみよう。







題して
[小室哲哉がワイヤレスを夢見ていた時代]








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まずは悲しい現実のお話。




1985年
「Dragon The Festival tour」

以前のエントリーにて白田朗のTM懐古録を御伝えしたが、
それ以降に思い出した話をひとつ。





当時のサポートギタリスト、松本孝弘には
『盛り上がってくると下を向き、仁王立ちになって演奏する』
という癖があったそうで
その横でケーブルを踏んづけられて
動けなくなってしまった小室哲哉が困った顔をしてオロオロ
ということが一度や二度ではなくあったそうだ。






金を払って雇ったサポートメンバーが
妨害してくるとはまさかの展開。








技術的な問題以前に、長ったらしいコードを引きずっていれば
当然このような事が起こる。
ステージが広くなるほどマイクスタンドや
舞台セットなど障害物の数も増えるので、
前年の「パルコライブ」のように
意識せず自由に動き回るようにはいかなくなってくる。



彼等の足元では今、もう一つの戦いが起こっている。


































またワイヤレスとは関係ない話だが
小室哲哉はその激しいプレイにより、
たびたび『KX5』の鍵盤を折ったそうだ。(『KX5』の鍵盤は結構もろい)

折れた鍵盤はそのまま下がりっぱなしになってしまい、
音が鳴りっぱなしになって、
これにはスタッフ共々頭を悩ませたそうだ。









1986年
『FANKS DYNA☆MIX tour』でもトラブルが続く。



MIDIケーブルは規格上、15メートルまで
延長使用できることになっている。

もっともこれはあくまで理論値。
振動や熱、また電圧の不安定になりがちな
本番中のステージ上では実際値は著しく縮む。




『FANKS DYNA☆MIX tour』では
初日の静岡公演、2日目の愛知公演と連続して
最後の盛り上がり曲である「Dragon The Festival」にて
『KX5』のMIDIトラブルが発生した。


焦るスタッフ一同。
そして問題が解決しないまま臨んだ3日目の大阪公演…。







安心してほしい。
この問題は3日目にしてついに『完全』かつ根本的』に解決される。
その方法とは…







「Dragon The Festival」で『KX5』を使わない





        えぇぇー?!









初日の静岡公演 ~ 大阪公演までは
休みのない3連続公演だった為、
スタッフとしても原因を探る余裕がなかったのであろう。






DVD「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」にはツアー最終会場、
中野サンプラザでの「DRAGON THE FESTIVAL」が収録されているが
ここでもショルダーキーボードは使わず
キーボードブースにてサンプリングフレーズをプレイをしている。


ちょうど野外ライブ「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」との映像が切り替わる部分




























これを見ると、ひょっとしたらツアー中
最後まで『KX5』は使用しなかったのかもしれない。







尚、これまた余談だが1986年8月の「FANKS "FANTASY" DYNA-MIX」では
サポートキーボーディストの白田朗も、一部『KX5』を使用していた。

もっともこれは前回のエントリーで取り上げた
武道館における木根尚登の『DX100』同様、
演出的な賑やかしだったようだ。








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その他の時代背景




初期のライブでは『KX5』に繋げる音源に
『Prophet 600』や『DX7』が使われていたが、
これも純粋に音の良さだけで無く、
『KX5』との "MIDIの相性" によって選ばれていた


本来、ユニバーサルな規格であるMIDIに"相性" などあってはいけないのだが、
悲しいかな、これが当時の現実
最初から選択の余地が少なかったのだ。






また、1986年『FANKS DYNA☆MIX TOUR』
1987年『FANKS! BANG THE GONG TOUR』で行われた
舞台中央へメンバー3人が集まりフォーク調の演奏をする、いわゆる3人コーナー
(87年武道館ではサポートも含め6人で「8月の長い夜」を演奏)
にいたってはYAMAHAのファミリー向けキーボードである
"ポータサウンド"『PSS-460』(しかもミニ鍵盤)が使用されている。


ここではステージを動き回る必要もないのに、
そこまでしてワイヤレスにしたいか?!という感じだ。




この写真で見ると矢印部分から伸びたケーブルが
丸で囲んだトランスミッター(ワイヤレス送信機)に接続されている。
「ぼくにも弾けた」ポータサウンドを持ち、微笑む小室哲哉さん(東京都在住)




























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さて、ポコ太の記憶では『MIDIワイヤレス』というものが
少なくとも日本で初めて発売されたのは1988年中頃だったと思う。
海外メーカー製で日本では石橋楽器が取り扱っていたはずだ。
なぜここまで憶えているかというと、当時友人に付き添って
初めて楽器店というものに踏み込んだのがこの時期だったからだ。





ところが『MIDIワイヤレス』が存在しないはずの1985年
「Dragon The Festival tour」にて
『KX5がワイヤレスで使われた』という未確認情報がある。

おそらくオープニングで
メンバー3人が飛び出してくる場面のことではないかと思われるが
ポコ太が確認した限りは、
そのような写真、及び映像は見つからなかった。





しかしそれより更に前、1984年12月のいわゆる「パルコライブ」にて
謎の写真が有る。それが ↓ コレだ。




























小室哲哉の持つシルバーの『KX5』の横に黒い塊がついているのが分かる。
だが実際に行われたライブを記録したDVD「VISION FESTIVAL」の中では
このような接続方法は昼の部、夜の部とも確認できない。






そもそもDVDの中で使われているのは一貫して黒の『KX5』だ。






写真には客が入っている様子はないので、昼の部でのショットだと思われる。
ひょっとするとビデオ撮影とは別に
マスコミ向けの写真撮影の時間があったのかもしれない。
当日にそんな時間的余裕があったかというのも疑問だが…。

可能性としては更に低いが、その後行われた札幌公演、
及び広島公演でのショットかもしれない。






これは一体どう解釈すれば良いのだろう?
しかも、結局この写真では下にコードが垂れ下がっている。






もう一枚の写真を見てみよう。




























何やら複数の機械とケーブルがガムテープでぐるぐる巻きにされている、
(丸で囲った部分が業務用音響機器メーカー『RAMSA』のロゴにも見える)

矢印で示したところがMIDIコードだが、
結局黒い物体とは無関係なまま、下に垂れ下がってるように見える。







つまりこの物体は『KX5』とは無関係の
ヘッドセットマイクのワイヤレスシステムではないか。

もっともこんなところに着けていたら『KX5』をはずすことが出来なくなるが
あまりにも雑な 装着方法を見ると、
写真撮影の間だけの仮処置なのかもしれない。




「Dragon The Festival tour」にて『MIDIワイヤレスが使われた』
という噂はこのような写真から生まれたのではないだろうか。


もしこの時期、実際にワイヤレスが使われてるのを
見たことがある方は、ぜひ教えてください。








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ところで、やや先走るが
もし本当にMIDIワイヤレスの存在しないこの時代に
ワイヤレスを試みようとした場合、
どのような方法があったのだろうか?





実は前述のとおり、楽器店に入り浸るようになったポコ太は
店員のお兄さんに(聞いてもいないのに)教えられたことがある。

(1990年頃の新宿や新大久保辺りの楽器店のデジタルコーナーには、
 プロやスタッフもよく覗きに訪れ、それの応対もする、
 めちゃくちゃ知識を持った店員さん達がいた)






その方法とは
『MIDI信号を一旦音声信号に変換し、
 通常のワイヤレス装置で飛ばす』
というものである。






"MIDI信号を音声信号に変換" と聞いて、ピンとこない人もいるかもしれないが
カセットMTRを使ったことがある人なら、
シーケンサーとの同期に変換ボックス等を使って
同期信号を録音したことがあるのではないか。
要はあれと同じである。






つまりこうなる。


『KX5』→MIDI信号→『変換ボックス』→音声信号→
  『ギター用ワイヤレス(送信機)』→→→無線→→→

    →→→無線→→→『ギター用ワイヤレス(受信機)』→音声信号→
       『変換ボックス』→MIDI信号→『シンセ、サンプラーなどの音源』






この方法では『KX5』の側に
『変換ボックス』 + 『ギター用ワイヤレス(送信機)』
機種によってはさらに + 『送信機用電池ボックス』が必要となる。











はっきり言ってめちゃくちゃ重いハズだ。
「パルコライブ」のように四六時中『KX5』を抱えているステージで
あの小室哲哉が耐えられるとは思えない。



結局、前回のエントリーでふれたように
音源を内臓するという方法以外は
技術的な事以前に諦めざるをえなかったのではないだろうか?








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さていよいよ次回は、みんな大好き『MIND CONTROL』!





と思いきやソコは軽く流して、その陰に隠れた
 "非常に地味" なカスタマイズをされた『KX5』のお話の予定。
ちょっと早めの怪談話(?)ですゾ!




んじゃ、また。






2013年6月9日日曜日

自由をその手に 〜『KX5』小室哲哉カスタム 〜 その1

さて今回はお約束どおり
YAMAHAによるショルダーキーボード
『KX5』小室哲哉カスタムのお話。



といっても「Digitalian Tour」でお披露目された
『Mind Control』の話ではない。

それ以前に計画されていた、
もう一つの『KX5』カスタムの話である。





YAMAHAショルダーキーボード『KX5』














実は今回のテーマ、
はっきり言って他人のふんどしである。


相互リンクさせていただいている
こちらのブログ記事のコメント欄にて
「ふかっち」さんという方が
『本当ならTMの武道館でお披露目されるはずだった〜』
『当時の雑誌でそのように言っていた』
と指摘されていて、その後管理人の方と
『なぜ遅れたのでしょうね』などと会話が続いている。


これはなかなか面白そうな話題なので
乗っからせていただいた。







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結論から先に言うと『遅れた』のではなく
一度『立ち消え』になったと思われる。


なぜ、そう言えるかというと
幻の『87年・武道館バージョン』と
後の『Tetsuya's Mind Control』では目指すものが違ったからだ。



・『87年・武道館バージョン』
  → 音源を内蔵すること。

・『Tetsuya's Mind Control』
  → ボリュームコントロール、
    ピッチベンドホイールなど操作系のカスタマイズ。




今回はまず、幻となった
『87年・武道館バージョン』を見ていこう。







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該当の小室哲哉インタビューは
キーボードマガジン87年4月号に掲載されている。
内容の大半は当時リハーサル中だった
『FANKS! BANG THE GONG TOUR』についてのものだが
この時点で既に決定していた
武道館公演についても、少しふれている。


そこでの発言が冒頭でふれた
『特注のショルダー・キーボードを武道館でお披露目できるかも』
というものである。



実際の紙面ではもう少し具体的な内容を語っているので
箇条書きしてみよう。



・『TX81Z』の音源を2台分『KX5』に内蔵する。

・『TX81Z』の音源ならオペレータの波形を変える &
    2台分を混ぜることによって、今までのDXとは違う音が出せるかも。

・   ただし、現時点ではまだ『DX100』の音源になる可能性もある

・   重さは今の『KX5』くらいに。





YAMAHA『TX81Z』
ちなみにこの画像は次々回で使いまわす予定。










ちなみにこの記事の
『FANKS! BANG THE GONG TOUR』機材リストには
『KX5(特注)』という先走った表記がされている。




しかしご存知のように、この話は結局実現しなかった。




やはり音源を内蔵するには
内部のスペースが足りなかったか、
重量が重くなりすぎたためだと思われる。







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さて、実現しなかったとはいえ
なぜこの時点で「音源内蔵」にこだわっていたのだろうか?




それはズバリ、
ワイヤレスにしたかったからだ。




何故、ワイヤレスにしたかったのかは
説明する必要はないだろう。
誰だってダラダラと長いコードを引きずるより
ワイヤレスで舞台を自由に飛び回れる方が良いに決まっている。



ギタリストの中には音が痩せてしまうという理由で、
ワイヤレスを嫌う人もいるようだが
『KX5』にその心配はない。



なぜならオリジナルの『KX5』は単なるリモコンであり
それ自体に音源は内蔵されていないため音は出ない。
『KX5』から出力されるのは例えば
『今、ラの鍵盤を強く弾いた』
というMIDI情報だけである。
音が出るわけではないので、音痩せの心配はないのだ。



そのかわり、出力されたMIDI情報の『受け手側』
実際の音を出すシンセサイザー等と
何らかの方法で繋がなくてはならない




ここで問題がある。




1987年当時、
MIDI信号のワイヤレスシステムというのは
存在していなかったのだ。




よって『KX5』をワイヤレスとして使おうとした場合、
音源を内蔵し、それ自身から音が出るようにした上で
ギター用のワイヤレスシステムに繋いで使おう、
という発想になったのだろう。







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結局、実現しなかった『87年・武道館バージョン』であるが
「ワイヤレスで自由に飛び回りたい」
という願いを武道館で叶えたのは
皮肉にも小室哲哉ではなく木根尚登であった



DVD『FANKS the LIVE 1 FANKS CRY-MAX』の最後に収録されている
「Dragon The Festival」におけるダイジェスト映像では
ワイヤレス化した『DX100』を持った木根尚登の姿が見れる。




YAMAHADX100















同DVDの「イパネマ’87」イントロで
木根尚登が弾いているのが『DX100』である。
『DX100』にはストラップが付けられるようになっていて、
おまけに『DX7』などには劣るものの音源内蔵である。



ワイヤレスにもってこいなのだ。




       背後より監視を受ける木根尚登 …… 彼は疲れていた。





























     鎖から解き放たれた木根尚登! いま彼を縛るものは何もない。































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さて次回は『Mind Control』の話に行く前に
なぜそんなにワイヤレスに憧れたのか?
当時のMIDIワイヤレス事情と
コードを引きずってた時代の『小室哲哉哀歌』を語ろう。




んじゃ、また。