2020年6月21日日曜日

「グリニッジの光を離れて」クレジットミスの指摘に至る経緯について


どうも。

昨年、出演したnet番組をご覧になった方から
重箱blogに書かれていた通り本当にずーっと喋り続ける方なんですね!」
というメッセージをいただいたミツカワです。

わざわざ貴重な時間を削って御視聴いただき、誠にありがとうございました。



      ただ…


         感想、そこかよ?!





CDの宣伝をするはずが、何故か『老眼』について熱く語り続けたミツカワ。
いい加減、フリートークの “フリー” が
  ほんとにフリーじゃいけない ことに気付くべきであろう。





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さて今回は通常の内容とは異なり、
2020年3月にリリースされた “TM NETWORK デビュー時に制作された未発表曲”
「グリニッジの光を離れて」で起こった
 作曲者クレジットのミス。

この間違いを ミツカワが発売元に指摘するに至った 経緯を纏めておきます。
























と言いますのも、この件の公式発表 (【お詫び】3/18発売 TM NETWORK「Gift from Fanks T」の作曲者表記訂正とブックレット交換のお知らせ)が出て以降、
ミツカワのもとには大量のメッセージをいただいておりまして、
皆様一様に「よくやった」と褒めていただくのですが、
実際のところ 自分は大した事をしておらず、
他の方々の尽力によるところが大きい ので、
面映ゆい というか、ばつが悪い というか…。


そこで 協力いただいた方への感謝 と自分の近況報告も含め、
このエントリーを執筆しようと思った次第です。
  (現在までにいただいたメッセージには必ずお返事いたします。
   ただ、とても手の追いつかない状態ですので、いましばらくお待ちください)





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今回の主役である未発表曲「グリニッジの光を離れて」が Bonus Track として収録された
ベストアルバム「Gift from Fanks T」



ただ、ミツカワはこのCDをリリース日の時点では購入しておらず、
この重箱blogでも度々お世話になっているコレクターの GAUZE氏 が聴かせてくれました。
(ちなみにこの時点で彼は当たり前のように 同CDを複数枚購入 していましたが、
 もはや突っ込む気になれませんでした)


この時の様子を正確に記すと、先に「作曲/小室哲哉」と記されたライナー を見せてもらい、
そのうえで聴かせてもらいました。
つまりクレジット情報を知ってから曲を聴いたわけです。

まず最初の感想としては「いい曲だなぁ」とか「好みじゃないなぁ」とかではなく、
ただただ「困惑した」というのが正直なところでした。

どこをどう聴いても、自分が長年聴いてきた
「小室哲哉の作るメロディー」の片鱗も感じない からです。




→ 「小室っぽい」ってなんだろう? その1
→ 「小室っぽい」ってなんだろう? その2




もちろん TM NETWORK デビューにあたり、
小室氏がそれまでと違う作風を模索していたという話は知っていましたが、
今、プレイヤーから再生されているそれは
“作風の違い”というニュアンスでは収まらない ように思えました。



この重箱blogで何度も書いたとおり、自分はあくまで
“スタッフを含めたプロジェクトとしての TM NETWORK” のファン でしかないので、
90年代以降のいわゆるTK時代を全く知りません。

そのため、この重箱blogを読んでくださる方々に比べると
「小室メロディー」を聴いた数はかなり少ないはずですが、
それでも「これは違う」と即座に結論付けた のは、同時にもう一つ別の印象を受けた為です。




→ 歌いだしから最後まで濃厚な木根メロディーだなぁ。




普段ミツカワはライナーをほとんど見ないので、もしその時点で自分が購入したCDだったら
「グリニッジの光を離れて」= 作曲/木根尚登 と認識したままだったと思います。
この時はたまたまGAUZE氏にライナーを手渡されたため、目を通し違和感が生じたわけです。




ここで重要なのは、
・小室哲哉作曲ではない → だから木根尚登作曲である
という 消去法ではなく、

・小室哲哉メロディーではない
・木根尚登メロディーである

という 独立した2つの印象 が同時に生まれたという点。





というわけで一聴した時点で 自分の中の結論は出てしまった わけですが、
だがしかし、そこにはオフィシャルとして「作曲/小室哲哉」と書かれたライナーという
大きな硬い壁が立ちはだかっている わけです。
これをどう解釈すべきか、というのが先に書いた「困惑」の中身でした。



ただ困惑しつつも、せっかくGAUZE氏が聴かせてくれているわけですから
その場で何かしらの感想を言わなくてはいけない…。
とっさに頭に浮かんだ可能性は2つ でした。



1つはそのものズバリ、作曲者クレジットが間違っている ということ。
でも瑣末な内容ならともかく、オフィシャル商品でそんなことありえるんでしょうか?



もう1つ考えられる可能性は…
自分はGAUZE氏にこう伝えました。


 「この、今聴いている曲が本当に「グリニッジの光を離れて」という曲なのか
     俺達には判断つかないよね?
  多分これをそのまま「悲しき16歳(注)」として聴されても信じちゃう気がする。」

   (注)「グリニッジ〜」と同じくデビューにあたり準備されていた曲。
       ただし正式なレコーディングには至っていない模様。


つまり「グリニッジ〜」が小室哲哉作曲であるのは間違いないが、
そもそもこの曲が「グリニッジ〜」ではない という可能性です。

歌詞が直接的に

 ♫〜 O.K. Gyuhhh!
    gグぅリニッジのぅ光ぅおーーふぁーぬあーれーてーーーーーーーっ!!
     TM ネットワーク Dameーーーー!!!

とかでない以上、ギリギリ成り立つ理屈 ではあります。
(ほんとにこんな歌詞だったら永遠に未発表であってほしいと思いますが)



たださすがにそこまで なんて素敵にジャパネスク (Don't think, feel.) なことが、
そうそう起こるとも思えませんので、これも笑い話として流れていきました。




ただし、ここでの与太話が後に繋がる こととなります。





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この件に関してミツカワのパートは、これでほぼ終了です。

どんなに確固たる自信があっても、この時点では 単なる印象論 です。
社会的には「個人の感想です」以上のものではありません。
さすがにこれだけで発売元に直接問い合わせるという発想は 全くありませんでした。



しかしだからといって、いつものように
裏付けを取るべく力を尽くすこともありませんでした。



というのも、ちょうどこの時期、
新型肺炎流行の影響により、自身の音楽活動が焼け野原になり始めたためです。
フリーランスにとってトラブルなど日常茶飯事 ではありますが、
今回は生まれつきの自分の障害や近年の体質などにピンポイントで直撃しており、
他の方と同じレベルの捉え方をするわけにはいきません。
医師にも強く釘を刺され、自分の人生そのものが崩れていくような感覚にとらわれていました。



ですので、正直に言って (たとえTMであろうが)
他の事を気にするような余裕はありません でした。



本当に、自分としては その日その場所で終わった話 でした。





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そして4月。


家に篭って、日々悪化していく状況に対応するため
リスケジュールを繰り返すだけの簡単なお仕事に没頭し、
「グリニッジの光を離れて」どころか TM NETWORK すら一切聴きませんでした。
(「Tomorrow Made New」は “TM NETWORK” ではないので セーフ という法の抜け穴 )



ここ数年、免疫の低下から入退院を繰り返している自分にとって、
気分が落ち込むことも危ない ので、
毎日 タイムボカンの曲を歌って 英気を養っていました。(完全実話)



   フニャーとめげてる場合じゃないよね!




 “シビビーン” とは、もともと関根勤のネタ。
  曲の制作にあたり、ちゃんと許可を…

            …って、そんな情報いらんか。





     ソニーへの道は遥かに遠い…。
                  (BGM / PALE SHELTER)






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しかし 2ヶ月近く経った 5月中旬、突然この話は再起動します。


こちらも当重箱blogでたびたびお世話になっている「TMN通史」
青い惑星の愚か者氏 (以下、惑星氏) から連絡が入ったのです。

その時点では、彼とこの件を話した事はありませんでしたので少し驚きました。
どうやら自分の知らないところで、GAUZE氏から
「ミツカワがこんなこと言ってた」と伝わっていたそうなのです。

そこで気になった惑星氏がなんと
ヒントとなる資料を探し出してくれた とのこと!



凄ぇーーーーーっ!!
I love metal  ーーーーーっ!!(←まだ引きずっている)





送られてきた資料は2000年頃放送されていた TM NETWORK のラジオ番組
『サークルK Presents BEAT CLUB "それ行け!TM Network"』の書き起こしTextでした。

それによると2000年9月14日に放送された回ではトークテーマの1つとして
「TMの未発表曲」が採りあげられたそうです。
全体的にラジオ特有のゆるい雑談まじりの会話ですので、核心部分のみ書き記します。




(K=木根氏 U=宇都宮氏)

K:「特に俺の曲、2曲ぐらいボツにされたヤツあんだよ。1枚目で。」
U:「(笑) うん。なんか、あったね。」
K:「あのね。」
U:「うん。『フィービ』って曲(爆笑)」
ー中略ー
U:「あれ似合わないよ、やっぱ。今、聴いてもね、違うと思うな。」
K:「まだ、1枚目だし。試行錯誤でな。イロイロあったからな。」


確かに番組中では「グリニッジ〜」というタイトルは語られていませんが、
非常に注目すべき発言 なのは間違いありません。





ここでようやく (完全に他力ですが) 
ミツカワの重箱スイッチが入りました!





これを足がかりに他の記録を漁ると、この部分は単なるトークではなく
2人が メロディーをつけハモった そうです。

ですが、ミツカワも惑星氏もこのラジオを実際に聞いたわけではなく、
手元にあるのはあくまで書き起こしでしかないため、
それが どんなメロディーだったのかは分かりません。

ただ2000年の放送なので (TM NETWORKの歴史としては) わりと最近です。
エアチェックした人は多いでしょう。

通常なら、次はこの放送の音源を所持している人を探し、
該当部分のメロディーを確認させてもらうという手順を踏むべきですが、
今回は この書き起こしの文面だけで決定的な証拠となり得る とミツカワは判断しました。
(そもそも 本当にその日の放送でこんな会話があったのか?
 という点は、別方面からしっかり確認しましたが)



その理由として



1) “フィービ” という特徴的な人名が入る未発表曲が他にも存在しているとは考えにくい。
  (1st Albumには別曲にも “フィービー” という人名が出てきますが、
   総体として特徴的なことには変わりはありません)


2) 作者の木根氏ではなく宇都宮氏から率先してそのキーワードをあげている。


3) この時点で20年後にその曲がリリースされるとは本人達も知らないわけで、
  それだけにポジショントークに陥らず、事実をそのまま話している可能性が高い。



などが挙げられます。



この内、特に 2) は重要 だと考えます。

木根氏の発した “俺の曲” という前フリだけで
宇都宮氏が「フィービ」というキーワードで答えたということは、つまり
「フィービ」なるキーワードを含む未発表曲 = 木根尚登作曲
 であるとのコンセンサスが2人の間にある という事です。
(このCDが制作される際に本人確認が行われなかった、ということでもあります)




なおクレジット問題とは直接関係はありませんが、惑星氏によると
 -tribute LIVE- SPIN OFF from TM 2007 のリハーサル中に、
宇都宮氏が突然ふざけて「懐かしい曲を1曲… グリニッジ!」と言い出し、
唯一そのセリフに反応した木根氏が演奏を始めようとするも手が追いつかず悔しがる…
という場面があったそうです。


先のラジオ発言のニュアンスと合わせて見ると、
2人の間でこの曲は一種の ネタ扱い になっていたようですね。





閑話休題。


さあ、それまで自分の印象論でしかなかったものが
途端に形を持ち始めました。
次のステップとして、多少勇み足ですが
発売元の ソニー・ミュージックに連絡をつける こととしました。


 ↓ その時、やりとりしたミツカワのDM。5月10日ですね。

















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ここでちょっと話がずれますが、このエントリーを書いたもう一つの動機として
皆様へのお願い があります。


SNSの時代となり特定の対象とファンの距離が近くなったと言われます。
ミツカワ自身は 客観的な視点を保つため、
そういう対象やコミュニティーとは距離を取るように努めていますが
(以前、小泉洋氏のインタビュー を行った際、
この件に関してだけは一線を越えると書いた のはそういう意味です)
直接触れ合えることに価値を見いだすファンの気持ちも分からなくはありません。



ただアーティストとファンが直接つながることによってそこでサイクルが完結しがちになり、
レコード会社にファンの声が届きにくくなっているのではないか という懸念を持っています。



欲望丸出し になるので多少自重しつつ話しますが、
未発表の音源やライブ映像等を管理し、リリースする企画を承認 → 実行に移すのは、
あくまでレコード会社です。

そして私達が思っている以上に、レコード会社はファンの生声を気にしています。
(昔はレコードなどに感想を送る葉書が入っていましたよね)
ぜひアーティストだけではなくレコード会社にも感想や要望などを伝えてほしいと思います。





別の言い方をすると、現状に満足せず
もっと貪欲になってほしい とも思います。
とにかく TM NETWORKの商品展開 (特にライブ関連) は偏りがありすぎ
その実態が隠れたままになっていますので。





ここまで書いて思い出したので、余談ついでに一例をあげておきます。
EXPO tour の舞台中央にある透明な扉 ありますよね?




























あれ、コンサートの最終盤 (自分が観た日だと「We Love The Earth」) で
全部が独立してぐるぐる回りだし 照明を反射させて巨大なミラーボールみたいになるんですよ。
このツアーでのかなり印象的な場面なんですが
EXPO tour 自体が全く商品化されていない ので、
今となっては見る術がないんですよね。





このような事例が多すぎて
自分の思い出の中にあるTM NETWORKと現在触れられるTM NETWORKの落差が辛いんです。


もう一度書きます。
        ほんと辛いんです。


というわけで、SNSで完結せずレコード会社にも積極的に意見や感想を届けようね!
という提案でした。
長々と書き連ねましたが、つまりこういうことです。




      エピックソニー・イェー!!




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というわけで、この件もSNSを使った方が簡単に解決したかもしれませんが、
(あるいはレコーディングに参加していた小泉洋氏に尋ねるという手もありましたが)
やはり ここは筋論として 商品開発をしたソニー・ミュージックの門を叩くことにしました。



が、世は新型肺炎流行による非常事態宣言下。
当然と言えば当然ですが、ソニー・ミュージックの電話窓口は閉鎖となっており、
一旦、様子を見ることとなります。


メール窓口は開いていたんですけどね…。


白状すると自分、ものすごい筆無精 なんですよ。
なので、なるべく直接会話して話を終わらせたかったんです。


え?筆無精ってお前、
毎回この 長文ダラダラ垂れ流しブログ 書いてるじゃないか!って?


いや、実はこの重箱blogもiPadに向かって 喋って入力してる んです。
というかむしろ、iOSに音声入力がついたからブログを始めたというレベルです。


♫〜 想像してごらん。
     独りぼっちの部屋で重箱blogの内容を淡々と音声入力しているミツカワを〜
      唄 / ジョン レノン


がその後、非常事態宣言が解除となっても電話受付は閉鎖のままでしたので、
ここは 観念して メールで連絡を取ることとしました。






ここからは拍子抜けするほど、とんとん拍子でした。






上記の通り、論拠としては『自分の印象 + 過去のラジオでの発言』となるわけですが、
窓口となる方 (しかも在宅勤務) いきなり細かいことを話しても伝わらない と思い、
最初のメールでは大掴みに、

・この曲の作曲者クレジットは間違いないでしょうか?
・同グループの木根氏作曲ではないですか?

とだけしたためて送りました。


やり取りする中で、ラジオでのやりとり等の詳細を伝えればいいと考えていたのですが、
先方からは「早速、担当部署に伝え調査させます」との返事が来て、
正直なところ、少し拍子抜けしました。


もちろんこの状況下ですので、調査にもある程度時間がかかるとは思いましたが、
その間も窓口の方から丁寧に現在の状況を伝えていただき、
こちらとしては本当に ただ待ってるだけ で充分でした。


今考えてみれば、権利関係の根幹に関わる部分なので、
調査そのものよりジャスラックを始めとした登録の修正や、
ブックレット交換の手続きを整えることに時間がかかっていたのではと思います。





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以上が「グリニッジの光を離れて」ミスクレジット指摘のあらましです。
今回、ミツカワがしたことはほとんどありません。

ミツカワの与太話を GAUZE氏が惑星氏に繋いでくれたおかげ であり、
その話を受け止め、論拠となる資料を探し出してくれた惑星氏のおかげ です。

もし、どちらかが1つでも欠けていたら、
ミツカワはいつまでも解けないパズルを抱え続けていたでしょう。




    両氏には改めて感謝いたします。





今後、クレジットが修正されたことで木根氏に入る印税が少しでも増え、
彼が新しいサングラスを買えるといいですね。





おしまい。





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さて今後のミツカワですが、重症化しやすい自分の体を考えると、
確固たる治療法が確立するまでは、現在の活動を諦めざるをえません。

野外イベントに振切った生活をしていたため、なかなか頭の切り替えができないでおりますが、
今の状況でできるプロジェクトを構想中です。



最後に供養としてこれを置いておきます。
姉妹曲として作った2曲をつなげたものです。

以前、プロモーション資料として作成したものですが、
今後使用する機会もないので、ここだけでひっそりと公開します。
楽しんでいただければ幸いです。






以上、「Tomorrow Made New」と「Kiss You」と「Maria Club」の
三密状態を回避できない ミツカワでした。



んじゃ、また。





2018年3月25日日曜日

ミツカワの・第7回・小ネタ☆スペシャル



実は売れていたのは「Get Wild」ではなく
「Fighting (君のファイティング)」だったんだよ!!

な、なんだってー?!





えー、お久しぶりです。

かつて "意識を失うその瞬間まで喋り続ける男" と呼ばれたミツカワ。
今年(2018年)頭から、シンガーソングライターでボーカル講師などもなさっている
結奈さん「ぎゃおすたじお」にしゃべくり要因として呼んでいただいております

"ひたすらゆるく" がコンセプトだそうですが、
ちゃんと真面目に演奏もしてます
ので楽しんでいただけたらと存じます。(知らん曲ばかりやけどな!!)


お悩み解決編はこちら ⇨ ぎゃおすたじお!8《桜/河口恭吾》



で、動画の中でも触れていますが、
一昨年あたりから菌やウイルス関連で入退院を繰り返すこととなってしまい、
公私ともにスケジュールがガタガタになっております。

本来ならこの「重箱」をしっかり閉じてから自分の音楽活動へと邁進する予定でいましたが、
ご覧のように今田みかん…いや、未だ未完。

これ以上引っ張っているとホントに放置になってしまうので、変則的ではありますが、
当初予定していた小ネタスペシャルを
"書き上がった順に1本ずつ随時アップ" し、
小ネタ3本 × 2本のエントリーにて "重箱のつつき終わり" とさせていただきます。



それもいつになることかわかりませんが、
とにかくまだ『ネット上に書き残しておきたいネタ』はたくさんあるので、
あと少しお付き合いいただければと思います。

m(_ _)m


2018年5月4日 (小ネタ No.07-2)[第3の女] 追加しました。









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(小ネタ No.07-1)
[第4の男]


以前、こちらのエントリーで 1987年11月〜1988年2月に行われた
「Kiss Japan Tour(ホールツアー)」 = 未商品化 未商品化 未商品化 …
の一部の曲において、
ベーシスト日詰昭一郎が手弾きでシンセベースをプレイしたことを採り上げた。
そこから浅倉大介や小室哲哉などのシンセベース・プレイも採り上げたのだが、
手弾きシンセベースといえば、一番レアな人物にまだ触れていなかった




それは誰あろう 宇都宮隆・その人である。




これは 1990年12月〜1991年3月に行われた「RHYTHM RED TMN Tour」でのこと

彼のプレイがツアースタート時点から行われていたかは定かでは無い。
少なくともツアーに先立って行われた公開リハーサル
「The Formation Lap」ではそのような演出はなかった

しかしツアー全40本中9本目にあたる
1990年12月25日 北海道厚生年金会館 2daysの初日には 既に行われている ので、
かなり早い段階から行われていた事は確かだ。
(ただし、それ以降毎回行われていたのかは不明)




彼がシンセベースを弾く曲は
「WORLD'S END」
その長いイントロ部分でのことだ。




細かく見ていこう。

まず、当ツアーにおける本来のシンセベース担当は、ご存知の通り浅倉大介である。
よってシンセベースを弾く=浅倉ブースに入る、ということになるわけだが、
しかしこのツアーでの浅倉ブースは、相変わらずド派手な小室ブースの後ろにあり、
正直言ってあまり目立たない。

それもあってか、残念ながら
"浅倉ブースでシンセベースを演奏する宇都宮隆" の画像などは見つけられなかった。 





しかしツアー途中、状況は一変する。

1991年2月19日 仙台市泉文化創造センター
 = 通称「イズミティ21」公演から演出の一環として、
小室ブースに主がいない時は、
そちらに浅倉大介が移動して弾く ことになった。

とはいえ両ブースの鍵盤(EOS)は単なるコントローラーで、
肝心の音源への接続先はお互いのブースで異なるため、それほど簡単な話ではない
それなりの前準備は必要であり、この設定変更には、
シンクラビア・オペレーターとして参加していた秋葉淳も駆り出されたという。


イズミティ21は4日間も公演が行われる
(因みに「CAROL TOUR」の時は7日間公演!!)にもかかわらず、
ツアー中唯一の "2階席のないホール" だそうで、
客席から浅倉ブースが見えづらいことが予想できたことも、
この変更に関係しているかもしれない。

また、目の前に近づいていたアリーナ公演(大阪・東京・名古屋)の
ステージ規模への対応という側面も考えられる。
(アリーナ公演からセットリストに入った
「RHYTHM RED BEAT BLACK -version 2.0-」のリハーサルもこのあたりから始まっている)






で、問題の「WORLD'S END」

小室哲哉は曲頭からブースを出て、ステージ前方にてオルガンをプレイしている。
ここで空になった小室ブースに浅倉大介が移動してシンセベースを弾くのだが、
ということはつまり、この日からは
宇都宮隆も小室ブースで演奏する ということになる。

先の浅倉ブースと比べてこれはかなり目立ったはずだが、
あまりこの話題に触れる人はいない。
なにしろ代々木体育館に3日間通った (通う羽目になった) ミツカワですら、
『はて、そんなことあったっけ?』と思う程度だ。








     しかしこのウツベース、かなりのレアケースではあるものの、
   実は誰でも確認することができる。







彼の "犯行" が収められているのは DVD「RHYTHM RED LIVE WORLD'S END」
その「 II 」側に収録されている「WORLD'S END」を観てみよう。
最初はイメージ映像が続き、バンドが in してからようやくライブ映像となる。

このライブ映像になった瞬間、カメラは小室哲哉を真ん中に捉えているが、その左後ろ。
ドラムと小室ブースの間に宇都宮隆が腰掛けている。
ここで宇都宮の右手に注目すると、
なんと鍵盤の横?(反対側?)から
シンセベースを演奏しているのだ!

しかも演奏しながらドラムの阿部薫と顔を見合わせ笑っている。


























この部分、静止画では分かりにくいが動画なら一目瞭然だ。
是非、お手元のDVDで確認していただきたい。







ではこの時、浅倉大介はどこで何をしているのか?


カットが変わり、ステージ上手から葛城哲哉&木根尚登のギターコンビを捉えた映像となるが、
ここでも画面奥に小室ブースが映っていて、その様子が分かる。

相変わらず宇都宮隆の右手は鍵盤を抑え、その動きに合わせシンセベースが聴こえてくる。
そのさらに奥に浅倉大介も確認出来るのだが、
彼は曲に合わせ手を叩いているだけで、鍵盤には触れていない。

つまりこの部分のシンセベースは宇都宮隆が弾いているのだ。































さて、いくら演出上の余興とはいえ、しっかりとしたバンド演奏の中で
いきなり宇都宮隆が鍵盤をプレイ出来るのか?
という疑問を持つ方もいらっしゃるだろう。

タネを明かすと、この「WORLD'S END」イントロ部分はコードが動かない、
いわゆる一発コードなのである。
なので演奏とは言っても宇都宮隆が実際に弾いている鍵盤はただひとつ。
同じ鍵盤を延々と叩いているだけ なのだ。
映像を見ているとコードが動き出す瞬間から、浅倉大介にバトンタッチしている。

ひとつの鍵盤を叩くだけなら経験者でなくとも可能だろう。
とはいえ リズム感は必要 なわけで "演奏" であることにはかわりない。











なお、当時 Epic Sony が製作していたTV番組「eZ」では、
1991年3月と5月に、それぞれ仙台公演と東京公演の模様を一部放送している。
収録会場が異なるにもかかわらず、
その両方とも「WORLD'S END」を採りあげているのが面白い。

この内、仙台公演の「WORLD'S END」は長らく商品化されていなかったが、
現在では DVD「TM NETWORK THE MOVIE 1984~」の
ボーナストラックとして収録されている。
TV放映時に被っていた告知テロップなどが外され、さらに見やすくなっており、
むしろこれのために購入しても良いだろう。




問題は、もうひとつの東京公演の方だ。
(こちらは未だ、未商品化)



代々木公演ということで、
DVD「RHYTHM RED LIVE WORLD'S END」の「 II 」側と同内容と思いきや、
TV放映版はDVDのようなイメージ映像が被らず、
純粋なライブ映像となっている。
そのため僅かではあるがDVDでは分からない部分を確認することができる



























そこでは小室哲哉のオルガン独奏時には舞台からはけていた宇都宮隆が、
バンド演奏スタートとともに上手側から登場し、小室ブースに向かう様子が捉えられている。






























余談だが、このTV放映版では葛城哲哉が
自身の弾くギターフレーズに合わせ表情を作る様子が捉えられていて、
これが非常にかっこいい。
ミツカワ的には全 RHYTHM RED 映像の中で、これこそがベストショットだと思っている。



















































やはりライブ映像は変にイメージ映像などを加えず、そのまま商品化してもらいたいものだ。
まぁこれを言ってしまうと TMのビデオ全否定 になっちゃうんですけどね…。






どちらにせよ、宇都宮隆がシンセベースを弾くというのはかなりのレアケースである。
さらに彼はご存知の通り、その後のEXPOツアーでは弦のベースを弾いているわけで、
つまり TM のステージで弦のベースとシンセベース、両方をプレイしたことがあるのは
日詰昭一郎と宇都宮隆だけということになるのだ!?









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(小ネタ No.07-2)
[第3の女]



さて、ここではキャロルを数える。
キャロルを演じた役者は何人いるのか?というネタ。
なお、ここでは30周年での "後付け" や、アニメーションなど 増殖後 は考えない。
採り上げるのはあくまで1988年、
アルバム「CAROL」発売前後のTMライブでキャロルを演じた役者 に絞る。



となると、賢明なファンの方々には簡単な話だろう。
一緒に数えていこう。




まず パニーラ・ダルストランド (Irma Pernilla Dahlstrand)






















彼女は説明不要だろう。
長期に渡った「CAROL TOUR」〜「CAMP FANKS!! '89」まで、
キャロル役をひとりで演じ切った "本家本元キャロル" だ。






次に パメラ・レニイ・アルトフ (Pamela Lynn Altoff)































「CAROL TOUR」に半年先立ち行われた、TM初の東京ドーム公演
「STARCAMP TOKYO」での「CAROL」予告編にて
キャロルを演じた "初代キャロル" である。

先のパニーラとは異なり、彼女はここから最後まで出ずっぱりで、
歌にダンスにと大活躍 だった。























ミツカワの「STARCAMP TOKYO」の記憶は 大雨と、このパメラ だ。



因みに TMのコンサートで
キーボードを弾いた女性は彼女だけ である。


          (当て振りくさいが)





            以上!結論は2名でした。














ちょっと待ったーーーーーーっ!!


皆さん、もう1人お忘れではないですか?
それがこの、、、この、、、

 あれ? 名前が分からない?!

えーっと、とにかく
「CAROL TOUR」の
 オープニングフィルムに登場する彼女 である。
























どう見てもパニーラじゃない。
どちらかといえばパメラに似ているが、でもやっぱり パメラでもない (よね?)





         じゃあ、誰?





この人物、1988年末に放送されたエピックソニー制作のテレビプログラム
「eZ 4DAYS」で披露された「COME ON EVERYBODY」の導入部にも登場している。
 (DVD「DECADE」では該当部分はカットされ、いきなり演奏部分から始まる)

「eZ」内で顔は映らないが 衣装や髪型、背景のセットが同じ ことから、
同一人物と見て間違いなかろう。

























































ツアーのオープニングフィルムにクレジットはないため、彼女が何者か解らない。




そもそも腑に落ちないのは、
何故、ツアーのオープニングフィルムに
パニーラを起用しなかったのか? ということだ。

特に「CAMP FANKS!! '89」においては、幕が開いた途端、
先程の 大写しになっていた人物とは別人が出てきてキャロルを名乗る のは
なんとも釈然としなかった 覚えがある。




もっとも件の女性が キャロル (キャロル役) ではない という可能性も無くはないが、
だったら余計にコンサートのオープニングで主役扱いされていた
あんたはいったい誰なんだ?! ということになる。

というわけで、この3人目の女性についてご存知の方は情報をお寄せください。








おまけ
TBSの神津アナはキャロルを名乗ったわけではないのでノーカウント。


































誰もカウントしないか…。







See you next 小ネタ.






2017年8月23日水曜日

"ミツカワ meets TMネットワーク" 「接触編」




【重箱blogを楽しみにしていただいている皆様へ】


『あと2回でおしまいです』などと煽りながら、全然更新ができず申し訳ありません。
いや〜、ア、アンコール鳴り止まなくてさぁ…。


いきなり余談ですが、ミツカワは「Crazy For You」を初めて聴いた時から
『来なくていいよ。他の人来てるし』
というセリフを
『来なくていいよ。お好み焼き食べてるし
だと 割と最近まで 思っていました。

ま、真夜中に炭水化物!!





さて今回は、相変わらず時間がとれない中、
(何に時間をとられているのかは、次回お知らせします)
昔書きかけたまま、放り出していた
『ポコ太 meets TMネットワーク』と言う原稿が出てきたので、
これなら 検証作業をする必要もないし、
何より 何故この重箱blogはこんなに偏った内容なのか をご理解いただけると思うので、
軽く手直しした上でエントリーします。


単なる回顧録ですので、有益な情報はありませんが、
(いつもは有益な情報が書いてあるとは言っていない)
TM NETWORK と こんな出会い方をした奴はそうそういない と思うので、
真夜中にお好み焼きでも食べながら、軽く読んでいただければと思います。






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さて、どれだけの方が気付いているだろうか。


この重箱blog、TM NETWORKを肴にしながら、
TMのファンを指して "FANKS" という表現が一度も出てこない

どの記事でも読み直していただければ分かるが、毎回
"FANKSとは書かず "TMのファン" と表記 している。
 "FANKS" と言う単語が使われるのは、
あくまで当時彼らが自称していた音楽ジャンルについてである。





またTMのblogでありながら「Get Wild」の記事がほとんどない。
あったとしても、それはライブでの演奏についてであり、
1987年4月8日発売の『オリジナルシングルの衝撃!』と言った内容は皆無だ。

当重箱blogにおいて「Get 〜」とは
「Get Wild」ではなく「Get Away」を指す
と認識してもらっていいだろう。

実際、重箱の初エントリーは「クロコダイル・ラップ」4連発 なのだ!!





「重箱のスミ」なんて名前のblogなんだから、
ある程度偏った内容なのは理解していただけるとして、
それにしても この偏りっぷりの根本的原因 について一言で言ってしまえば


ミツカワは "FANKSではなかった!!


…ということに尽きるのだが、これでは身もふたもないので
今回より2回に渡り、
回顧録『ミツカワのTM NETWORKとの出会いと別れ(←?!)』
を、お送りする。


しばしタイムマシンに乗り、1984年への旅をお楽しみください。






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序章  〜1984・タイムマシンへのチケット〜


自分が能動的に音楽を聴くようになったきっかけ。
そして今なおフェイバリットなアーティストは、
ずばり、シンガーソングライター『久保田早紀』である。
そう、あの「異邦人」の久保田早紀だ。

















「異邦人」収録のデビューアルバム「夢がたり」1979年12月リリース




彼女のアルバムには、曲毎に各楽器のプレイヤーがクレジットされており
これを通じてミツカワは、スタジオミュージシャンや音楽プロデューサーという存在、
そしてその役割に興味を持つこととなった。

さらに当時のアルバムには、
レコーディングシステムが事細かに書かれた別紙
まで封入されており、これもサウンドにおける一種の種明かしのようで、
細かい意味は分からないながらも、レコードを聴きながら興味深く眺めたものだ。

 (おそらくソニーがデジタルレコーディングに移行する時期だったので、
  それをアピールする狙いがあったと思われる。
  なので、その後発売されたCDなどでは割愛されている)







  で、この久保田早紀が
  TM NETWORKへの入口だった、というわけだ。
   (そして出口でもあった。この件は次回)







本当はここで、さっさとTMの話に移りたいのだが、
恐らく多くの人が「〜だった、というわけだ」と言われても全く伝わらない だろう。


そもそも、この重箱blog読者の方の中に、
久保田早紀の "全アルバム7枚" を聴いたことがある人が何人いるのか…。
いや、アルバムどころか、ぶっちゃけて言えば
「異邦人」以外の曲を知っている人が何人いるのか(涙)


実際には「キリンオレンジ」のタイアップソングとなった
「オレンジ・エアメール・スペシャル」もそこそこヒット
して、同時代の人には耳馴染みがあるはずなのだが、
なにせ「異邦人」が化け物的な大ヒットをしたせい で、
それ以外の曲が霞んでしまった感がある。



確か「ザ・ベストテン」とか「ウルトラマン80」とかの合間にガンガン流れてました。










というわけで、思いっきり駆け足になるが、この後の話に関わることなので、
TM NETWORK に繋がる点 を纏める。






まずひとつは プログレッシブ・ロックとの親和性


彼女のオリジナルアルバムは全7枚あり、サウンドプロデューサーも、
萩田光男・佐藤準・井上鑑・久米大作
と、いずれも大物・超大物が名を連ねている。

その度に彼女の書く曲も彩を変えるのだが、
何故かどのプロデューサー期のアルバムにも共通するのが、
プログレ臭がする曲が(時にはアルバム全体が)収められていること。



誰がサウンドアレンジを担当してもそうなったという事は、
やはり彼女の書く曲そのものに、プログレとの相性の良さがあったのだろう。
自分がずっと久保田早紀を聴き続けたのも、
この要素が大きい。

特にセカンドアルバム収録の「アクエリアン・エイジ」における曲構成、
そして延々と続くアナログシンセ・ソロは圧巻である。
プログレ好きの方は是非、チェックしていただきたい。




さてここでは、個人的に "初期・久保田早紀" の典型曲 と感じる、
セカンドアルバム「天界」冒頭曲「シャングリラ」を挙げる。



実はミツカワ、
TM NETWORK が1987〜88年に行った
「Kiss Japan Tour」 における「Don't Let Me Cry」後半部分のライブアレンジで、
松本孝弘/ギター → 木根尚登/ピアノ → 小室哲哉/オルガン の順でソロ回しが行われていた時、
『久保田早紀の「シャングリラ」の間奏部分に似てるな』
と思いながら見ていた。


今考えると何の事はない、典型的なプログレ・アレンジ である。
 (なお以前書いたが、この時の「Don't Let Me Cry」のエンディングは
  ELO の「Yours Truly, 2095」まんまである)



その他
・各所で聴かれるブロックコードによるリフ
・ピアノによるリズミカルなコード・バッキング
など、生演奏と打ち込みの差はあれど、
自分の "ツボ" としてはTMを聴く時と何ら変わらない。










しかし1984年当時、TMへの入り口として 直接的な役割を果たしたのは、
もうひとつの要素。
独特のオリエンタリズムというか異国情緒 である。


この「シャングリラ」、2番にこのような一節が出て来る。

  ♫ 〜 "死ぬことのない愛など求めるのはおよし"と
     哀しみをたたえた目でクリシュナが見守る


これでもう、感のいい方は分かったかもしれない。








そして運命の1984年。

結婚を機に教会音楽に専念するため、久保田早紀は商業音楽から身を引くことを発表。
(ラストアルバム「夜の底は柔らかな幻」1984年10月リリース)

ミツカワの心にひとつ、空席が出来たまさにその時。
東の空から 正体不明のタイムマシンが現れた!!





        something moving !






♫ おまけ
久保田早紀は国立(くにたち)出身であり、
年代も同じ(小室哲哉と同い歳)ことから、TMの3人とすれ違っていてもおかしくはない。
ある意味、多摩ネットワーク である。

と書くと妄想のようだが、1984年6月 渋谷LIVE INN のスケジュールを見ると
ちょっと現実味がわくでしょ?





































♫ もうひとつおまけ
1981年 小室みつ子氏がデビューする際、
雑誌で『久保田早紀似の容姿』と表現されていたのを見た憶えがあります。






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第1章  〜どうぶつさんたちだいしゅうこうだわいわい〜


1984年9月初旬の夜であった。

中学生だったミツカワはラジオを聴きながら机に向かい、
たぶんプラモデルでも作っていたのだと思う。
意識の8割は手元に向かっていている中で、気付ぬうちにラジオから曲が流れ始めていた。

どことなく 久保田早紀に似た異国情緒溢れる歌詞 が耳にとまり、手の動きが止まった。

『嫌いじゃないな…』

そう思った時には既に次の曲に切り替わっており、感想もそこまでだった。
ミツカワは再び手元に集中し始めた。




その時、不思議なことが起こった。
既に終わったはずの 先程の曲が、再びラジオから流れ始めた のだ。




何が起こっているのか掴めず、手を止め戸惑うミツカワ。
しばし宙を見つめる中、少しづつなにが起こったのか分かり始めた。


どうやら自分が最初に『次の曲に移った』と思った部分は
別曲ではなく、同じ曲の大サビだった ようだ。(下図の部分)
ただ当時としては常識外れと言ってもよい程、
劇的で突拍子も無い転調だった為に同じ曲とは認識できず、
別の曲が始まったと思った…というわけだ。













ようやく理解が追いついたその時、畳み掛けるように印象的な歌詞が飛び込んできた。


  ♫ 〜 「別れることは怖くない」君は涙みせずに言った
      生きる為のルールだから ほんの少し悲しいだけ



ん?

 …

  ・・・


   あー、こ、これは!?「シャングリラ」!!





先に挙げた、久保田早紀「シャングリラ」の歌詞を見直してほしい。
この曲のジュリアの言葉と、「シャングリラ」におけるクリシュナの言葉。

当時のミツカワが、両者を "同じカテゴリー" だと感じた のも無理はない、
と理解していただけただろうか?





      あまりにも 強引で衝撃的なその転調 と、
      久保田早紀を思わせる 異国情緒溢れる歌詞





    きたっ!!
    久保田早紀を失った俺の胸の穴を埋める、
    新たなアーティストの出現だ!!
       ミツカワは色めきたった。





いやしかし、待て自分。落ち着け自分!
曲が始まった時点では注意をはらっていなかったので、
肝心の "誰" の "なんという曲" なのか分からない。
一般家庭にインターネットなど存在しない時代、これではレコードの買いようが無い。




じっくり記憶を辿ってみる。
曲始まりでの司会者の言葉 …ネットワーク…
なんか、そんな言葉が出てきた気がする。
曲名も変なタイトルだった …動物… たぶんライオンだった…が、自信は無い。




     → … ど、動物ネットワーク 




なんとも頼りないが、それだけが手掛かりだった。
ちょうどその頃、別の曲を買おうとおこずかいを貯めてあったミツカワは、
早速、明日の放課後にレコード屋へ行こうと決め、期待に胸を膨らませ布団に潜り込んだ。


うー、はっ!










第2章  〜さらば TMネットワーク(←もうかよっ!?)


翌日、学校から帰ったミツカワは財布を掴み、自転車で家を飛び出した
まず目指すは、一番近所のレコード屋だ。

…が、撃沈であった。
『ネットワーク』と『動物』だけ では、
レジのおばちゃんには皆目見当もつかなかった。




まあ、ここまでは予想の範囲だ。
即座に次のレコード屋に向かう。

しかし、ここもまた撃沈。
次の店も撃沈… 次の店も… また次の店も…。




次第に家から遠ざかり、
とうとう 中学生が放課後に自転車で出かける範囲を逸脱し始めていた。
既に辺りには夕闇が迫ってきている。

こうなるとミツカワも意地になってきた。
どうせここまで来たのなら、繁華街にある大きな全国チェーンのレコード屋。
そこまで行ってダメだったら諦めようと決め、ペダルを踏み込む。




目的のレコード屋(確か十字屋だった)に到着した頃には、完全に日は暮れていた。
店内に入ると、それまでと同じくレコード棚には眼もくれずレジに向かう。
応対してくれた若い店員に事情を話すが、ピンとこないようだった。
ここまでは今日一日、何度も繰り返された光景。




しかしその時、隣のレジにいたベテランらしいおじさん店員が、こちらも見ずにボソッと
『"ソレ" って "アレ" じゃないかなぁ』とつぶやいた。
そして気だるそうに、後ろの棚から閻魔帳のように分厚いファイルを取り出したかと思うと、
ペロっと指先を舐め、物凄い勢いでページをめくりはじめた。

ぴたっとおじさんの手が止まる。
手元のメモ用紙になにやら書き留め、それをこちらに差し出した。



『コレじゃない?』


    TMネットワーク 「金曜日のライオン」


メモには、そう書かれていた。






ああっコレッ!コレです!ありがとうございます!!』





実際は音が聴けるわけではないので、それが自分の捜し求めたものか確証は無い。
ただ、もうヘトヘトになるまで半日駆けずり回った 自分に対する "落とし前" が欲しかった。


自分がある種の達成感に酔いしれている間も、おじさんの言葉は続いていた。
『…は今置いてないんだけど、最近出たシングルならありますよ』
その言葉を合図に、ミツカワはレコード棚に向かって走った。






た・ち・つ・て…・て・て・て …てぃ…・ティーエム…・・・あった!!

発売間もないニューシングル。
その名も「1974」!
ついに出会えた!!








    …が、レコード棚からそのシングルを引き出したまま、
    ミツカワは固まってしまった。








そのジャケットがあまりにも予想外、いや破壊的と言うべきか…、
ラジオで「金曜日のライオン(だったと思われる曲)」を聴いた時からミツカワは、
角松敏生のようなスーツを着こなした シックな佇まいの人達 を勝手にイメージしていたのだ。






   …のだが、

     …のだが、

       こ、コレは…。















































           ドン引き










落ち着いて見ると右側の人はそれ程ではなく、ま、まあ 許容範囲である。
しかし それを巻き込んでなお、常軌を逸するインパクトを醸し出してる のは、
やはり 左側の男のイカれた格好。



        ジェロニモンかよっ!!






























                   ウルトラマン (1966) 第37話より 酋長怪獣ジェロニモン







                  …無理だ。






ミツカワはとっさに思った。
こんな ハレンチなジャケット をレジに持っていくのは、
若いお姉さんがレジにいる本屋でエロ本を買うよりも無理だ…
無理 無理 無理!!


常識さえ追いつけないスピードで情熱が冷めてゆく中、
今、ミツカワの頭にあるのはただ
「どうやってこのレコード屋から脱出するか」だけだった。




さすがにここまでクタクタになって、なにも成果無しというのはキツイ。
なんでも良いから(本当はなんでも良くないが…)戦利品が欲しい。

そうだ、元々は別のレコードのためにおこずかいを貯めていたんじゃないか!
それを買おう。





そして今見た全て(主に三つ編み)を忘れてしまおう!





崩壊寸前だったミツカワの心は、こうしてなんとか踏み止まった。
その時買って帰ったのが、こちらも当時ニューシングルだったコレ。






























     B面収録の「傷ついたジェラシー」は、
     自分にとっての "popsアレンジ生涯ベスト10" に入る傑作だと思っている。
     今でもほぼ毎日聴いています(ほんとよ)






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今のように情報が次から次へと押し寄せる時代であれば、
自分にとっての "TMネットワーク" は、
これで終わっていただろう。

しかし当時は、そうそう自分好みのバンドを次々と知れるような状況ではなく、
「TMネットワーク」の名を拭い去るには至らなかった。



それからというもの、ラジオやTV・雑誌など、
「TMネットワーク」を(というより当時の認識としては "三つ編み野郎を" 
ちょこちょこ見かけるようになり、彼らは自分の頭の中に居座り続けた。





そして時は移り1985年。

自分にとってフェイバリットとなるアルバム「CHILDHOOD'S END」の発売とともに、
一気に TM NETWORK にのめり込む こととなるのだ。




































ただし、ここまで読んでくれた方はお察しいただけると思うが、
このアルバムの購入を決断した最大の要因は楽曲ではなく、
ジャケットから "三つ編みが消えた" から である。
男の子の心は、かくも繊細で単純なのである。






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♫ またまたおまけ。

今回、重要な役割を果たした「1974」のジャケット写真。
レコードを実家に置いてきてしまったためスキャンできず困っていたところ、
いつもコメントいただく GAUZE 氏より提供いただきました。

さらに、氏所有の「1974」サンプル盤のジャケット も提供いただいたので、
ここに掲載させていただきます。




































通常版の別テイクと思いきや、よく見ると髪型も衣装も違いますね。
このジャケットだったらドン引きしなかった…かも…。


       なにが "I Wanna See The Fantasy" やねん!!
       夢見たいのはこっちやわ!!
    ほんま、罪深いジャケットやで…。






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さて次回、この 重箱blogの偏り のもう一つの要因。
第3章  〜さらば TMネットワーク(←またかよっ!?)
をお送りします。

ゲゲゲゲゲゲ?! 私はこれでTMを止めました!!


9月中旬の 予定 です。
んじゃ、また。